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今夜、罪の味を Vol.1

今夜、罪の味を:大好きな彼に交際半年でフラレた女。未練がある女が、夜に足を運んだ場所

有栖川匠

高校の同級生だった豪くんが私が働くイベント会社に現れたのは、今年の初めのことだった。

「あれっ、廣田さんだよね?廣田市子」

「えっ。ご、豪くん…!?」

声が裏返るほど驚いてしまったのは、担当イベントであるキャラクターコンテンツの買い付けをしている商社に、豪くんが勤めていたということだけじゃない。

高校で同級生だった豪くんが。あの、豪くんが…。

“今の姿”になった私のことを認識してくれたことに、私は心の底から驚いたのだ。

「まさかこんなところで廣田さんに会うなんて、びっくりしたよ」

「豪くんこそ、一流商社マンになってるなんてびっくり!昔もかっこよかったけど、今はもっとずっと素敵になったね」

「褒めすぎでしょ」

豪くんはそう言って笑ったけど、私は大真面目だった。

高校時代の豪くんは、頭がよくて、みんなの人気者で、誰にでもすごく優しくて…かっこいいとしか言いようのない男の子だったから。

私が卒業文集に「将来の夢:結婚して幸せな家庭を築くこと」と書いた時も、豪くんは豪くんだった。

「いいね。廣田さんと結婚したら楽しそう」

豪くんはどんなキザなセリフでも、こんなふうに嫌味なくサラッと言えてしまうのだ。

もちろん、こんな言葉は私以外の他の女の子にだって言っていることは私にだってわかっている。だけど、まんまと豪くんに夢中になってしまった私は、それ以降、自分磨きに努力するようになった。

豪くんの当時好きな芸能人は、今や二児の母だがかつては名だたるティーン誌で活躍していた、かなり細身の有名モデルで、その理由を「細くてかわいいから」と言っていると、男友達から聞いたことがあったから。

メイクを研究して、仕草も可愛らしく。性格も社交的に。何より一番がんばったのは、ダイエットと体型維持だ。

甘いものや食べることが大好きで、もともとは少しぽっちゃりしていた私だったけれど、完璧なカロリーコントロールで努力をし続けた結果、ついには読者モデルとして雑誌にのったり、メイク系のインフルエンサーとして活躍することまでできた。

自分で言うのもなんだけれど、今の体型はかなり細いし、角度によっては豪くんが好きだった芸能人に似ていると言われることもある。

もちろんこのスタイルを保つためには、夜食やデザートなんて“罪の味”はもってのほかなのだ。


― もう、太っていて自信がなかった頃の私じゃない。だって、豪くんが私の人生を変えてくれたから。

26歳の会社員になった今でもそんな想いを胸に秘めていたところに、取引先の人間として豪くんが現れたのだから、その時の驚きはとても言葉では言い表すことはできない。

再会してからはこのチャンスを逃すものかと猛アプローチをし続け、その結果どうにかこうにか恋人同士になることができ、今日で半年になる。

半年経った今も、豪くんは優しい。ロスからの出張帰りだというのに、こうして「半年記念日だから」とディナーデートをしてくれるほどに。

― ああ、なんて幸せなんだろう。どうかこのまま、豪くんのおよめさんになれますように…!

食事を終えて神谷町の豪くんの部屋まで歩きながら、私は密かに神様にお願いする。

豪くんと一緒にいられるだけで、どんなスイーツを味わうよりも幸せでいられるのだ。

これからもずっと努力し続けるから、豪くんと過ごせる時間が永遠に続いてほしい。

本当に、心の底から、そう思っていたのに…。


部屋について、しばらくしてからのことだった。

「俺たち、別れた方がいいと思う」

夜の口寂しさを白湯で紛らわす私に、豪くんははっきりとそう告げた。

「え…今、なんて?」

にわかには信じられなくて聞き返してみたけれど、豪くんの口から出てきたのは、さっきと同じセリフだ。

「俺たち、別れた方がいいと思うんだ」

「一応聞くけど…どうして?」

白湯のマグカップを置いた私は、冷静を装いながら理由を尋ねる。

取り乱さない理由は、私はもう、あの頃のぽっちゃりしていて垢抜けなかった“廣田さん”とは違うから。

元読モで、元インフルエンサーで、芸能人みたいにスタイルがいい、自信に満ち溢れた“市子”だからだ。

だけど…。

つぎに豪くんが放った言葉を聞いた瞬間、私の心はバラバラになってしまった。

「一緒にいても、幸せになれないから」

たった今、私が幸せを噛み締めている時にも、豪くんは正反対のことを感じていた。

こんなに悲しいことが、他にあるだろうか?

…これ以上豪くんから悲しい言葉を突き付けられたら、とても正気でいられる自信はない。

視界が真っ暗になるような絶望の中で私がとった行動は──ただ、豪くんの申し出を受け入れることだった。

「そっか。豪くんがそう思うなら、仕方ないね。今までありがとう」

精一杯いい女のふりをしながら私は、てきぱきと荷物をまとめて豪くんの部屋を後にする。

きしむような音を立ててドアが閉まってからは、しばらくのあいだ記憶がない。

この記事へのコメント

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No Name
記念日だからと、海外出張帰りにオシャレなレストラン連れて行ってもお酒は全く飲まずサラダだけ、デザートも要らないとか、一緒にいても楽しくないもう無理ってなったんだろうね。
2025/11/17 05:2114
No Name
元読モで元インフルエンサーで芸能人みたいにスタイルがいい、自信に満ち溢れた“市子”だから

いやいや、側から見たらギスギスガリガリの骨皮筋だったと思うわ。夜8時以降一切食べないって…かなりつまらないよね。 1人の時にやる分には構わないけど。
2025/11/17 06:588Comment Icon1
No Name
一話完結ではなく、市子のスイーツ食べ歩き連載なんですね......
2025/11/17 05:297Comment Icon1
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今夜、罪の味を

有栖川匠

悲しい夜。眠れない夜。寝たくない夜。

さまざまな感情に飲み込まれそうになる夜にも、東京では美食がそばにいてくれる。

ディナータイムのあとに、自分を甘やかす“罪の味”。

今夜、あなたも味わってみませんか──?

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