港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
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「あ、雨だ」
ルビーの気の抜けた声が場の緊張を緩め、ともみと美景の視線が動く。BAR・TOUGH COOKIESには畳一畳分程の天窓があり、それが唯一の窓だ。
― 桜雨、だっけ。
天窓に落ちてくる雨粒。店の灯りに照らされてきらめく水滴を見つめながら、ともみは桜の時季に降る雨の呼び名を思い出した。4月に入ったというのに、今年はまだきちんと桜を見ていない。東京の開花宣言は確か先週だったはずで、もしかしたら満開も過ぎているのかもしれない。
特に桜が好きだというわけではないのに、見ないまま季節を終えるのは惜しいと感じるのは日本人特有の感覚だろうかと、ともみが思ったその時、急に雨音が強まり、ルビーが「桜、散っちゃわないといいな」と呟いた。
― それは確か、花散らし。
ようやく咲いた桜を容赦なく散らせてしまう雨や風を表すその言葉を、ともみに教えてくれたのはミチだった。
ちょうど一年ほど前。BAR・Sneetの開店前の買い出しから戻ってきたミチの肩が濡れていた。雨が降ってきたのかと聞くと、花散らしの雨にならなきゃいいけど、と返ってきた。きょとんとしたともみに、ミチがその意味を教えてくれたのだ。
◆
「それで、ともみさんの提案って?」
ルビーが話題を戻し、ともみの視線も美景に戻った。
「私が美景さんだったらどうするかなって考えてみたんですよ。実は私も誘惑の多い世界で生きてきたので——もしあの時違う選択をしていたら、美景さんと同じように、誰かの脅迫に怯える立場になっていただろうなってことが、わりとリアルに想像できるんですよ」
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