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30歳になりまして Vol.15

「このままではよくない…」元カレと曖昧な関係が2ヶ月続いた結果、31歳が下した決断とは



「…菜穂?」

背後から聞こえたその声に、私は思わず体を強張らせる。新橋の海鮮居酒屋は、魚が焼けるいい匂いで充満している。

「ああ、蒼人。久しぶり」

「遅れちゃってごめん。なんだか最近忙しくて」

「人事は、春はバタバタだよね?わざわざ来てくれてありがとう」

蒼人はだまって横に座り、ビールを2杯頼んでくれる。

「…菜穂は、元気にしてた?転職した会社はどんな感じ?」

私は、懐かしい蒼人の香りを感じながら、自分を揺さぶっているカルチャーショックについて話した。

「前の会社は、年次文化が濃かったなって、今になって思うんだ」

「うん」

「歳を重ねただけで、自分のレベルが上がる感じがしてた。年次が上がれば昇進していける会社だしね。だからなのか、プライベートでもつい年齢を意識しすぎていた気がする」

ビールが来たので乾杯をしてから、私は、ゆったりと話を再会する。

「でも今は、感覚が変わったというか…。会社の中で、年齢を意識されることがいきなり減って、変な感じなんだ。急に生身になったというか。年齢で武装もできないし、逆にコンプレックスを感じる必要もない。すごくまっさらな感じなの」

蒼人がうなずいてくれたのがわかる。

「なんかいろいろ新鮮で、人間が変わった気分。蒼人といたときは…結婚のことで頭がいっぱいだったのに。急かしたり、試したり、ごめんなさい」

私はそこまで話して、初めて蒼人の目をしっかりと見た。

「今は、仕事に夢中なまま毎日が終わっていく。こんな感覚久しぶりで、すっごく楽しい」

疲れた体に、ビールがよく沁みる。私はいろんな話をしながら、それをスパスパと飲む。

こうして蒼人と会えて、うれしい。でも、その気持ちは少し前のものとは随分違う。そのことを思い知る。



この関係を、なんと言ったらいいのか。

蒼人はそれ以来、私を頻繁に飲みに誘ってくれた。仕事の都合で断ってしまっても、しぶとく連絡をくれる。結果、私は深く考えずに、この4月はもう4回も蒼人と飲んでいる。

「あのさ…」

いつも居酒屋で私だけお酒が進んだ状態になったとき、蒼人は黙って私を見つめた。それから少し緊張した様子で口を開く。

「ちょっと話してもいい?」

「…うん?」

「僕、反省してるんだ。菜穂と付き合ってたころ、結婚というものがイメージできないっていうだけで、本気で考えず、菜穂の思いをはねのけて」

「…いいって。私がおかしかったんだから」

蒼人はワシャワシャと頭をかく。

「あのさ、菜穂。僕は菜穂と過ごしてた毎日を、家に帰るたびに思い出して、あの頃の自分が羨ましくなる。…落ち着いてて、あったかくて、純粋に幸せだった」

しばらく沈黙があって、彼は静かに言った。

「ねえ。戻れる可能性なんてないかな?今の楽しそうな菜穂を見ていると、僕は大事なものを逃してしまったって思うんだ」

― どんな表情をしたらいいかわからない。

「結婚前提に、やり直せないかな。もう、タイミングが違う?」

タイミングが違う。本当にそうだ、と私は思う。私が違う景色を見始めたときに、蒼人が近づいてくれて。

― やり直せるのか?

自問自答しながら、私は今になって自分の不誠実さを思い知った。あんなに結婚したかった蒼人の、どこが素敵なのか。パッと浮かんでこないのだ。

結婚相手がほしかっただけで、蒼人という人間と向き合ってこなかった証かもしれない。

「…菜穂。だめかな?」

私は、恐る恐る声を出す。

「たぶん、だめ。…今は」

蒼人の目を見る。

「でも今は心の余裕がある。今の状態で蒼人と向き合って、どう思うか。もう一回考えてみたい気持ちはある」


それから、蒼人と時々会う関係になった。

基本的には、仕事終わりに。たまに、半日だけ出かけたりして。そうして2ヶ月が経ち、梅雨が明けて暑さが日本中を包んだ。

今日は、新宿で映画を見て、近くのカフェで感想を言い合っている。先ほどから鋭い考察を語り続ける蒼人を見ていて、私は思った。

― 決めた。

「蒼人」

「ん?」

蒼人の目を見る。

この人は、ただ優しいだけじゃない。思慮深くて、考えが鋭くて、しっかり言葉にしてくれる素敵な人だ。

付き合いたてのときこそそう思っていた気がするが、いつの間にか「30」という年齢の影に隠れて、蒼人の良さが見えなくなっていた。

表面的な「好き」だけを掲げて、ただただ焦り、遠回りをしてしまった。

30歳という年齢の「焦らせる力」はすごいと、つくづく思う。

― でも遠回りしたおかげで、見えたものがある。

今だって、子どものことを考えたら、結婚を急ぎたい。でも急いだってうまくいくわけじゃない。それを知ったから、気持ちに余裕が生まれた。

― だから今度は、この人のいいところをたくさん見つけながら、じっくり過ごそう。

その先で、どうなるかはわからない。やり直せばうまくいくという絶対的な自信があるわけではない。

けれどようやく今、大切な人を大切にできる自分が整ってきている気がするのだ。

「蒼人と…恋人としてまた一緒にいたいです。反省を生かして」

私が言うと、蒼人はうれしそうに笑った。

「え?本当に?」

「うん。それで、結婚についても考えたいと思ってる。もっとじっくり、時間をかけて」

テーブルの上にある私の手を、蒼人の白くて大きい手が包む。

時間が、ゆったりと流れている。

私は、蒼人の指先を撫で、その手をそっと包みかえした。

Fin.


▶前回:「私何やってるんだろう…」30歳で失恋し、寂しさからつい元カレと過ごしてしまった女の混乱

▶1話目はこちら:「時短で働く女性が正直羨ましい…」独身バリキャリ女のモヤモヤ

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この記事へのコメント

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No Name
ビールってスパスパと飲む? タバコや葉巻を吸うなら分かるけど😂
2025/08/06 05:2930Comment Icon3
No Name
年収約1千万(だったよね?)の主人公なのに、バリキャリと言われてブチギレたり、周りに既婚が増えたら謎に焦って結婚に執着したり、牛丼をかき込んだ社食で泣いちゃったり、社内恋愛を公表したら結婚できるかもと思い込んで結局すぐフラれて居心地悪いから転職とか。 あまりに幼稚で仕事出来る素敵女子とはかけ離れていた。なので菜穂の好感度は一向上がらず終い。そして何とも安易な復縁に失望。
2025/08/06 05:4626Comment Icon2
No Name
失恋して気分転換に転職したら若手が多くて結婚への焦りが薄れてきて反省? 何だろう、描き方は雑なのに一年経ってまた春が来て梅雨が来て....復縁しましたって、すごくつまらない話。非常に残念。
2025/08/06 05:2321Comment Icon1
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30歳になりまして

「30歳」

その数字は、女性の心に妙に重くのしかかる。

「年齢なんてただの数字」と本人は思っていても、世間がそれを許してくれない。

職場では、つい最近まで若手だったはずなのに、いつのまにか中堅どころになっている。

マッチングアプリだって自動的に30歳になった途端に「いいね」が減った気がする。

気持ちは追いついていないのに、30歳という年齢の重みがが急にのしかかる。

大手IT企業のマーケティング部で、課長職を担う桜庭菜穂は、30歳になって迷いが生じ始めた…。

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