理解者のふりをした大人の誘惑。そして整形。この2つに人生を壊された人物が、ともみの過去にいた。その人物…彼女への後ろめたさが、ともみが芸能界を去った原因の一つだ。そして。
― なんで、このタイミングだったんだろう。
松本公子(まつもときみこ)。そのことを否応なしに思い出させる人が現れた。なぜ今さら自分に会おうとしているのか。その疑問が、ミチから名刺を受け取って以来、ずっとあるのに。
忘れたくても忘れられない苦い過去と、目の前の凪が重なる。そんな不思議な感覚の中で、ともみは改めて凪に聞いた。
「整形したいっていうのは、本気?」
ルビーのギャル口調は無理でも、できるだけ、あっけらかんと軽く話すことを意識したともみに、凪が、あ、説教なら聞かないよ~と、笑った。
「もしかして、整形しなくても十分かわいいから、しなくていいとか言う?そういうの、もう100万回言われちゃってるからやめてね」
「もちろん、そんなつもりじゃないよ。たださっき、クリニック教えてって言われたじゃない?でもごめん、私天然美人だから、これ全部、整形じゃないの。生まれつきの美人ってやつです」
「…ともみちゃん、結構すごいこと言うね、まあ、ほんとに美人だけど…」
自分を美人だと他人に言ったのはたぶん初めてで、ともみは気恥ずかしくなりながらも平静を装い、でしょ?と微笑んでみせた。
はぁ~その顔面が全部天然とか、マジずるいよねぇ、と凪が溜息をついて続けた。
「私、自分の目、この意地悪そうな一重と、骨ばってエラの張った顎のラインが大キライなんだ。どんどんあの男に似てきちゃって……ほんっと顔ごと全部もぎ取りたいくらい、この顔が嫌い」
「あの男っていうのは、お父さん…?」
聞かずともわかる。だけど、ともみは敢えて質問した。
「そうだね、一応DNA的には。でも私はあの人を父親だと認めたことはないし、これからも絶対認めないけどね~」
凪は笑っていた。けれど、ともみにはそれが笑顔には見えなかった。
確かに、凪の目は切れ長の一重だが、全く意地悪そうには見えない。エラの張りも、アジア人のスーパーモデルのように、それが魅力にも見える顔だ。
父親に似ているか?と聞かれれば、似ているといえば似ているという程度で、凪が気にする程、“どんどん似てきている”とは、ともみには思えなかったが。
「お父さんにそっくりだから、整形したいの?」
隣にならぶ凪を覗き込むようにして尋ねたともみを、凪が見つめ返す。
「愛さんに怒られちゃうけもしれないけど、正直に言うね。さっき愛さんに凪ちゃんのお父さんが誰か聞いたの。だからお父さんの顔が私にもわかるけど、凪ちゃんが思う程、凪ちゃんは、お父さんに似てないよ」
不倫を続ける父親を嫌悪するのはわかる。けれど。
「お父さんのことが嫌いだから、自分の顔がイヤだっていう理由で整形するのなら、少しだけ…考え直した方がいいと思う。それって、お父さんへの憎しみが原動力になっちゃってるってことでしょ。
美容整形したからって、お父さんに似てると感じる部分が消えるとは限らないし、失敗する可能性だってあるからさ。…特に顎の手術は…難しくてリスクが大きいから」
ともみの過去の…苦い思い出の中にいる彼女は、まさに、顎の手術の失敗で、何より大切なものを失い、人生が壊れてしまった。
美容整形が悪いわけではないし、むしろ成功例の方が多いだろう。けれど、失敗する可能性があると納得した上での覚悟が、絶対に必要なのだと、ともみは過去から痛いほど学んでいる。
「お母さんに、整形したい理由は話したの?」
「…」
最近は、整形を勧める親も増えていると聞く。けれど凪の母親は反対し、それが理由で家出したというのだから。
「お母さんは、凪ちゃんがお父さんに似てる自分の顔が嫌いだから変えたいと思ってるってことを、知ってるの?もしそうだとしたら…」
母親の反対も理解できるけど、と伝えようとしたともみの言葉の続きを、うるさい!と激高した凪が奪った。
「お母さんが私を見る目が…どんなに怖いか知らないくせに!!むしろお母さんこそ、あの男にそっくりな私の顔が憎らしくて、大キライなんだよ?最近のお母さんは…私を見る度に、苦しそうで、悲しそうで。それがどんなにつらいことなのか、ともみちゃんにわかる!?」
ともみを睨んだその目から涙があふれ出し、凪は、泣いてしまったことが悔しいとでもいうように、それを乱暴に手の甲でぬぐい続けた。その勢いでアイラインがひどく滲み、なだめるように肩を抱こうとしたともみの腕は、構わないでとばかりに撥ねのけられた。
「だから私、お母さんに反対されても絶対整形するの。お母さんがお金を出してくれなくても、彼が払ってくれるって言ってくれたから」
泣きじゃくる凪の背を撫でるともみの手は、今度は拒絶されなかった。その涙が落ち着くのを待ちながら、ともみは、南洋太という男は、やっぱりろくなヤツではないと苛立ちつつ確信する。
未成年者の美容整形には金銭の問題だけではなく、保護者の同意が必要だ。それを“なんとかする”ということは、同意書を偽造するか、同意書を必要としない違法の医者に頼むということだろう。
― 男から引き離さないと。
だが、母親との関係が悪化すればするほど、きっと凪は南に依存する。けれど、やみくもに、あの男はダメだと正論を説いても逆効果になってしまう。
そう考えながら、ともみは、私の話を聞いてくれる?と切りだした。
「私、昔、アイドルだったんだよね。凪ちゃんの年齢だと知らないと思うけど」
え…?と、困惑した凪に構わず、ともみが話し続けようとしたとき。
「葵、やっと捕まったよ~。今からこっちに向かうって!……って、え?なんで泣いてんの?やだ、凪、メイク崩れ過ぎてホラーじゃん、も~何があったの!?」
戻ってきた愛の百面相にともみは苦笑いしつつ、お母さまがいらっしゃるならテーブル席を用意しますね、と立ち上がった。
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