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「ん、本当に美味しい。しょうがとにんにくがしっかり効いてる」
蒼人が揚げた唐揚げを頬張って、ビールグラスを傾ける。空いたグラスには、蒼人がすぐにビールを注いでくれる。
引っ越ししたてでまだ慣れないリビングの景色。テーブルに置かれた新しいティッシュケース。その横に飾ってある、近所の花屋で買ったダリア。
何もかもがピカピカまぶしい。同棲して、自分の人生がひとつ、大きく前に進んだ感覚がしている。
「菜穂が買ってきたこの花…えっと、ダリアだっけ?きれいで堂々としている感じが、菜穂にすごく似合うよね」
「うれしい。私の一番好きな花で、季節には毎週のように買っちゃうんだ」
ダリアはメキシコ原産の花で、花言葉は、赤は『華やか』、白は『感謝』。そんなことを話す私に、蒼人は、なぜかとても嬉しそうに笑いかけた。
「僕ね、菜穂さんのそういうところが好き」
「え?どういうとこ?」
「自分のお気に入りがしっかりあるところ。たとえばさ…」
私は、彼の言葉を待つ。
「たとえば、この前スーパーで調味料を買い揃えたときもそう。醤油ひとつとってもお気に入りが決まってたでしょう?そういうのいいよね」
蒼人は「僕は『なんとなくいいな』だけ選んじゃうからさあ」と笑いながら、唐揚げを口に運んだ。
その整った顔を見つめながら、私は、思う。
自分の好きなものがこんなにもはっきりしてきたのは、ここ数年な気がすると。
20代半ばまでは、あらゆるものを試して、失敗したり気に入ったりを繰り返した。いわゆるアラサーになってから、自分の好みが固まってきたのだ。
― 私と蒼人を隔てている「20代の5年」って、随分大きいんだよなあ。
そんなことを考えていたら、蒼人が「そうだ」と、こちらを見た。
「11月、どこかに旅行しない?年明けから新卒採用でバタバタするだろうから、今のうちにゆっくりしたくて。そろそろ半年記念日だしね」
「いいね、じゃあ温泉旅行にする?箱根あたりでのんびりしたい」
「旅館の候補出してみるよ。ちょうど、会社の創立記念休暇があるでしょう?そこを使って2泊くらいしたいよね」
私は「ありがとう」と言いながら、また唐揚げを味わう。
― なんか、幸せすぎないか。
本当は蒼人と、「結婚」というかたちをとれるのがベストではある。
でも「結婚」なんてワードは、若い彼にとってプレッシャーになるだけだろう。
それでこの穏やかな幸せを壊すくらいなら、今のままでいい。いわゆる婚期を逃したとしても、きっと私は、後悔しない。
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― って、そんな悠長なこと、言ってられないか。
幸せ気分でのぼせていた私が冷静になったのは、翌日の夜のことだった。
この記事へのコメント
急にイライラしてきて悲しくなり別れを切り出す流れなら、まるで『男女の答え合わせ』
まるでリスか石破総理か?