完全に気を抜いていた私は、むせそうになる。
「あ、えっと、特に変わりないよ」
ダンス部の同期たちはみんな視野が広くて優しい。夫の愚痴や子育ての話にまったく入れていない私のことを気遣ってくれたのだろう。
「そっか。仕事は順調?課長になったって言ってたよね?やっぱ大変?」
「まあまあ大変。でも、後輩たちがみんな優秀だから助かってる」
私は、仕事の近況をみんなにざっくり話したが、特にネタがないのですぐに終わってしまった。
「…えー菜穂さ、他になんかないの?」
「そうだよ、恋愛系の話とか」
「聞きたい!うちら誰一人恋愛市場にいないから、恋バナに飢えてるんだけど」
私は、重たい口を開く。
「えっとね、強いて言えば…」
そう言うと、みんな身を乗り出して「え?」「なんかあったの?」とニヤニヤしてくる。まるでダンス部の部室にいるときみたいだ。
「実は、好きな人…っていうか、気になる人が、できた。社内に」
私は、先日新人研修に登壇したこと、そのつながりで人事部の人と仲良くなったことを話した。
「まあ、まだ1回飲みに行っただけなんだけど。結構楽しかったんだ」
澤石さんと飲んだのは、1週間ちょっと前。
あの日、澤石さんは「来週の金曜はどうですか?」と誘ってくれたが、会食が入っていた。だから2回目の約束は、来週金曜だ。
「へえ、いいじゃん。連絡はとってるの?」
「うん。毎日のようにLINEしてくれるの」
私は照れを隠すために、ゆっくりと紅茶を飲む。
「あー菜穂いいなあ。社内恋愛」
「菜穂の会社なら、絶対高収入だもんね。安定してて結婚向きじゃない?」
思い思いのポジティブな言葉をかけてもらえて、私は笑みをこぼす。するとそのうちの一人が、記者会見のマネをしながら聞いてきた。
「で、どんな人なんですか?何歳ですか?」
「えっとね…年齢は、25歳なの。若いよね〜、社会人3年目になったばかり」
するとみんなはしばらく沈黙し、一瞬場がしらける。そして3秒後くらいに、全員がフォローするかのように言ってくれた。
「…へええ。いいじゃん」
「菜穂はデキ女だから、年下も似合うよ」
「付き合ったら教えてね」
私は、もう後悔していた。なんで話してしまったんだろう。
5歳下との恋なんて、うまくいく確率は低いのに。
◆
金曜日が来た。
今日は、澤石さんとの2回目のディナーだ。
私はいつもより念入りに化粧直しをして、メイクキープミストを3回振りかける。オフィスの化粧室で、こんなにウキウキ身支度をするのは、初めてかもしれない。
急いで東京駅に移動し、澤石さんが予約してくれたお店に着いた。
夜景が見える、モダンな雰囲気の日本酒居酒屋だ。
入店すると、お店にいた他の女性たちがみんな華やかで驚いた。
私はいつも通りの、カジュアルなスーツを着ている。張り切っている感が出ないようにそうしたのだが、もっとお洒落をしたほうがよかったか。
そんなことを思いながら案内された先には、すでに澤石さんがいた。
「お疲れさまです」
「お疲れさまです、予約ありがとうございます」
「桜庭さんが日本酒好きとのことだったので、頑張ってお店を調べました。すごいイイお店ですよね」
「本当に素敵ですね。調べてくれてうれしいです」
私はメニューを開きながら、自分に言い聞かせる。
― 今日は、恋愛関係を匂わすようなことは、言わないこと。勘違いで後輩男子を誘ったら、ハラスメントになるかもしれないんだから。
しかし、澤石さんは、すぐに予想外のことを言う。
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