照明の落ち着いた会場の端で、こっそりとこの目の前の光景を眺めながら感慨に耽る。
大手不動産会社から独立して今の会社を始めたときには、まだ30代だったというのに…。
いつのまにかもう52歳だなんて、なにかの冗談みたいだった。
駆け抜けてきた30代、40代は、とにかく会社を大きくすることに一生懸命で、振り返ってみれば短い間の白昼夢だったようにも思う。
遊ぶ暇すらなかったけれど、その結果、今の目の前の光景があるのだ。後悔は一切ない。
わずかに悔やまれることがあるとすれば、仕事に夢中になってきた分、もう27歳になる娘の成長はあまりゆっくり見られなかったことくらいだろうか。
けれどそんな寂しさはそのまま、文句も言わずに支えてくれた妻への感謝へと変換されているのだった。
― まあ、家族は妻と娘だけじゃないしな。
その言葉は嘘ではない。こうして少し立ち止まってみると、このフロアにいる60人の従業員全員が、僕の家族みたいなものなのだ。
前の会社から、僕を信じて一緒に独立してくれた役員のみんな。
大手の別事業から、やりがいを感じて転職してくれた中堅社員たち。
新卒でまだ頼りないベンチャーだったうちを選んでくれた、若手の真田くんの顔も見える。
自慢じゃないが、会社の規模がこうして少し大きくなった今も、僕は全ての従業員の顔と名前をしっかり頭に入れるようにしている。
それだけじゃない。慶弔の情報や、ごく個人的な情報も、なるべく知っておきたいと思っているのだ。
我ながら、奇妙な癖だとは思う。だけどこうすることで、娘が幼い時期に妻に全てを任せて仕事にかまけていたことへの、せめてもの罪滅ぼしになるような気がしていた。
それになにより…。
社員が、誇りに思ってくれる経営者でいたい。
それが、僕がこの会社を設立した時からの、変わらないモットーだ。
人間ある程度歳をとると、美醜よりも性格が顔に出るなんてことを聞いたことがあるけれど…ある意味、これも因果応報というのだろうか?
50代にして思うのは、人生は本当に、自分がやってきたことに対して相応の結果が返ってくる、ということだった。
早稲田を卒業し、新卒で大企業に入社したものの、顧客の顔が見えにくい仕事に疑問を感じた僕は、その疑問を原動力に会社を興すことに決めた。
血の通ったサービスで世間に貢献したい。顔の見えない顧客にも血の通ったサービスを届けたいという想いを持ちながら、従業員に対してなんの愛情も持っていない、なんてことが通るわけがない。
全ての社員の顔と名前を覚え続けているのは、その一心──というか、半ば意地のような気持ちともいえる。
あまりにロマン主義に聞こえるかもしれないけれど、経営者である僕がこういう姿勢でいることで、会社も世間にも愛されることになると信じて走り続けてきたのだった。
― ここまで、どうにかみんなに愛される会社にしてこられたかな。
このパーティーもそんな考えから、一緒に会社を盛り立ててきてくれた仲間たちへのお礼のような気持ちで開催しているところもある。
意地のように顔と名前を覚えていても、経営者が実際に従業員に感謝の想いを還元できる機会というは、そう多くないものだ。
せめて、美味しいものでもご馳走してあげたい。新たな体験の機会を提供してあげたい。
若い社員たちに対してそんな気持ちが湧いてきたのも、考えてみれば50代を迎えてから顕著になってきたような気がする。
けれどその一方で、少し欲が出てきたのもやっぱり50代を迎えてからだ。
若い人たちにとって、憧れの存在でいたい。背中で気持ちを伝えられるような、かっこいいジジイでいたい──。
52歳の男というものは、皆こんな気持ちを抱くものなんだろうか?
目の前に広がる温かでささやかな成功を見ながら、そんな年寄りみたいな物思いに耽っていた、その時だった。
「あの…後藤さん、お隣いいですか?」
ふと耳元で涼やかな声が聞こえた。
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