元カレ・研哉との関係に混乱して、鬱屈した気分で日々を過ごしたこともあった。
残業続きの本業と、実家のパン屋さんの手伝いに追われて、体が悲鳴を上げたこともあった。
あの頃は、重たい雲がかかったような、八方塞がりな未来しか見えていなかった。
― 今は、まるで違う。
実家のパン屋は、あれから信頼できるアルバイトを4人も獲得し、業績も好調だ。今日も両親が挙式に参加するにあたって、アルバイトに安心してお店を任せてきたようだ。
結海は店に立たない代わりにSNSを担当し続け、順調にフォロワーを増やしている。
仕事のほうも、状況はだいぶ好転した。
仕事量を調整してほしいこと、そのために新しい人をとってほしいことをしぶとく訴え続けた結果、1年ほど前にようやく1人メンバーが増えた。
上司の威圧的な態度で未だに理不尽な思いをすることもあるが、結海のストレスはだいぶ軽減されている。
「…ありがとう、寿人」
彼のおかげで、毎日が変わっていく。
のびやかな気分になって、無意識に封じ込めてきたむき出しの自分に何度も出会う。大声で笑ったり、恥を忘れて甘えたり。
寿人がいなければ、一生こんな自分を知らずに生きていた気がする。人の縁の不思議だと思うと、甘やかな感動が心に染みわたる。
「こちらをお持ちください」
スーツを着た女性が、白いブーケを手渡してくれる。
「ありがとうございます」
父親が、スタッフに連れられて、こわばった顔つきでやってきた。
結海は、改めて背筋を伸ばす。
《寿人SIDE》
寿人は、深く深呼吸する。
あと数分で、挙式が始まる。
みなとみらいの美しい海を背景に、これまでお世話になってきた大切な人たちが拍手をしている――そんな映像が頭に浮かぶ。
― ドキドキしてきた。…でも、結海さんも不安そうにしているな。
ドレスを着た結海の、細い肩があがっている。寿人は彼女に落ち着いてほしくて、そっとその手を握った。
しかし直後に気づいたのは、むしろ自分の手のほうが震えているという事実だ。
「大丈夫よ」
結海が目尻が下げて優しくつぶやいたのは、寿人の緊張を感じたからだろう。その大人っぽい表情に、寿人の鼓動はますます速まる。
― 結海は…付き合ってから、どんどん変わったよな。ますます素敵になった。
交際して2年。
結海は日々明るくなり、そして大人っぽくなっていったと寿人は思う。
最初、付き合って半年ほどは、絶妙に照れくさい雰囲気が漂っていた。でも今や、お互いに等身大で関わり合えている。
「こちらをお持ちください」
細身のスーツを着た女性が、結海に白いブーケを手渡した。
― いよいよだ。
結海の父親が、スタッフとともにやってくる。
プロポーズをしたときに似ている、せり上がってくるような緊張を感じる。
この記事へのコメント
実家の手伝いに追われて体が悲鳴をあげていたって、自分が息抜きに手伝いたいって言ったくせに。 どうでもいいけど、クソだっさいウエディングドレス選んだんだろうな〜