2025.03.24
1LDKの彼方 Vol.14もう迷いはなかった。明里の家族なんて、関係ない。
結婚は成人同士の意思があればいいのだ。明里が家族と折り合いがつかないのなら、俺が新しい家族になって、明里を守るだけだ。
それに、もう一切歌織ちゃんの話もしないことに決めた。これ以上、明里の心のなかをほじくり返す気もない。
そもそも、同棲しているからといって、何もかも話す必要はないんじゃないだろうか?
よく考えれば、俺が過去に浮気された話なんかも、明里には関係のないことだったのだ。
同窓会に参加していいかどうか聞いてくれたり、なるべくお酒を飲まずに早く帰ってきてくれたり…。
優しい明里は、俺のことを想って行動してくれてしまう。そしてがんじがらめになってしまう。
今ならやっと、瑛介が「束縛して安心させてもらってる」と苦言を呈していた意味が理解できる。
なんでも言えばいいってもんじゃない。
「愛し合う2人の間に秘密はないほうがいい」だなんて、そんなのは単純すぎる幻想だ。
明里にプロポーズをする。
そうと決めたら急に、視界がパッとひらけたような気がした。
もっとずっと前からこうしていればよかったのだ。
俺は、グッタリと体を横たえていたベッドから勢いよく飛び起きると、出かける支度に取り掛かる。
銀座あたりにでも行って、ティファニーやカルティエなんかのジュエリーブランドをいくつか回ろう。
そう思うと、今日ロケがバラシになったことも、気まぐれに有休をとってみたことも、全てこのためであるような気がして気分が上がった。
「えーっと、さすがにまだTシャツ一枚じゃ寒いよな。ハイブラも行くし、ジャケット、ジャケット…」
独り言を言いながらいそいそとクローゼットを引っ掻き回していると、ふとあるものが目に留まった。以前、明里が処分を提案していた、ボロボロの“NIKE Air Max 95”だった。
― 明里と生きていく。明里を全力で幸せにするんだ。
そのことだけを心の真ん中に掲げた俺に、もうボロボロのスニーカーは必要なかった。
「捨てよう」
ゴミ袋は、玄関の横の物入れにストックしてある。俺はAir Maxの箱を持ったまま寝室を出て、足早に玄関に向かった。
このスニーカーをゴミ袋に入れて、そのまま靴を履いて出掛けて、指輪を買う。
そう思って玄関の物入れに手をかけた、その時だった。
キィ…。
力なく、ゆっくりと玄関のドアが開いた。
隙間から滑り込んできたのは、1週間ぶりに会う明里だった。
俺が言葉を失ったように、明里もしばらく驚いた表情を浮かべて黙っていた。
しばらく見つめ合いながら、俺の方から声をかける。
「明里…帰ってきてくれたんだ!」
けれど明里は、困ったような顔を浮かべながら言う。
「亮太郎。この時間にいるなんてめずらしいね…。ごめん、帰ってきたんじゃないんだ。まだ少し菜奈のところにいると思う」
「え、まだ帰らないの?じゃあなんで…」
「ちょっと、物取りに来たの」
声は優しいけれど、少し張り詰めていた。
― まさか、荷物を引き上げるために?俺たち、別れるなんてこと…。
ふと湧いた自分の考えに、自分で耐えられなくなる。俺はまるで小さな子どもが母親を追うみたいに、リビングに上がりPCデスクの引き出しを開けようとする明里のあとを追った。
「何取りにきたの?」
そう聞くまでもなく明里の手元をみると、持っているのはマイナンバーカードだった。
「どうしたの?」
「うん、ちょっと。病院行くのに必要で」
「病院?えっ、病気なの?」
「いや、病気…じゃないんだけど…」
何もかも話す必要はない、なんて考えたことが嘘のように、俺は明里を質問責めにしてしまう。
明里がもしも病気なら、俺が助けてあげたい。朝ごはんだって俺が作るから、あの大きなベッドでゆっくりと休んで欲しい。
不安と心配と、それから明里への気持ちが溢れて、歯止めが聞かなかった。
だけど、次の瞬間。
そんな俺についに観念して明里が言った言葉に、俺は頭が真っ白になった。
少し痩せた気がする尖った肩を震わせて…明里は言ったのだ。
「婦人科に行くの。もしかしたら、妊娠したかもしれないから」
― ニンシン…?
その言葉の漢字が「妊娠」だとようやくわかった時。真っ白になっていた俺の頭の中は、一瞬にして“ある感情”で満たされた。
それは、確信だった。一連の全ての出来事が、明里と俺のためのお膳立てのように思える。
もう迷うことはなかった。
啓示にも似たその確信の気持ちは、目まぐるしくまた形を変え、紛れもない深い愛情になっていた。
気がつけば俺は、明里をそっと抱き寄せていた。
そして、この数ヶ月間ずっとずっと温めていた言葉を差し出す。
指輪は準備できなかったけれど、かまうもんか。次会ったら言うと決めていたのだ。
「じゃあさ…結婚しようよ」
そう言った俺の声に、迷いはなかった。
これっぽっちも、なかったのに。
▶前回:「何もないって言われたけど…」彼氏が他の女と連絡を取っていたことが発覚。30歳女は思わず…
▶1話目はこちら:恵比寿で彼と同棲を始めた29歳女。結婚へのカウントダウンと意気込んでいたら
▶Next:3月31日 月曜更新予定
ついに決意のプロポーズをした亮太郎。しかし、心待ちにしていたはずの明里は…
妊娠したんじゃ仕方ないから結婚しようよとも受け取れる。 この先どうなるんだろう、来週が待ちきれない。
今5月末で、ティファニーを隠し持ってプロポーズするのは確かこの年のクリスマス。 まさか流産とかそんな辛い展開にならない事を願うばかり。
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