1LDKの彼方 Vol.14

結婚に悩んでいた28歳男が、突然プロポーズを決意。「まだ早い」と思っていたのに…

もう迷いはなかった。明里の家族なんて、関係ない。

結婚は成人同士の意思があればいいのだ。明里が家族と折り合いがつかないのなら、俺が新しい家族になって、明里を守るだけだ。

それに、もう一切歌織ちゃんの話もしないことに決めた。これ以上、明里の心のなかをほじくり返す気もない。

そもそも、同棲しているからといって、何もかも話す必要はないんじゃないだろうか?

よく考えれば、俺が過去に浮気された話なんかも、明里には関係のないことだったのだ。

同窓会に参加していいかどうか聞いてくれたり、なるべくお酒を飲まずに早く帰ってきてくれたり…。

優しい明里は、俺のことを想って行動してくれてしまう。そしてがんじがらめになってしまう。

今ならやっと、瑛介が「束縛して安心させてもらってる」と苦言を呈していた意味が理解できる。

なんでも言えばいいってもんじゃない。

「愛し合う2人の間に秘密はないほうがいい」だなんて、そんなのは単純すぎる幻想だ。


明里にプロポーズをする。

そうと決めたら急に、視界がパッとひらけたような気がした。

もっとずっと前からこうしていればよかったのだ。

俺は、グッタリと体を横たえていたベッドから勢いよく飛び起きると、出かける支度に取り掛かる。

銀座あたりにでも行って、ティファニーやカルティエなんかのジュエリーブランドをいくつか回ろう。

そう思うと、今日ロケがバラシになったことも、気まぐれに有休をとってみたことも、全てこのためであるような気がして気分が上がった。

「えーっと、さすがにまだTシャツ一枚じゃ寒いよな。ハイブラも行くし、ジャケット、ジャケット…」

独り言を言いながらいそいそとクローゼットを引っ掻き回していると、ふとあるものが目に留まった。以前、明里が処分を提案していた、ボロボロの“NIKE Air Max 95”だった。

― 明里と生きていく。明里を全力で幸せにするんだ。

そのことだけを心の真ん中に掲げた俺に、もうボロボロのスニーカーは必要なかった。

「捨てよう」

ゴミ袋は、玄関の横の物入れにストックしてある。俺はAir Maxの箱を持ったまま寝室を出て、足早に玄関に向かった。

このスニーカーをゴミ袋に入れて、そのまま靴を履いて出掛けて、指輪を買う。

そう思って玄関の物入れに手をかけた、その時だった。


キィ…。


力なく、ゆっくりと玄関のドアが開いた。

隙間から滑り込んできたのは、1週間ぶりに会う明里だった。


俺が言葉を失ったように、明里もしばらく驚いた表情を浮かべて黙っていた。

しばらく見つめ合いながら、俺の方から声をかける。

「明里…帰ってきてくれたんだ!」

けれど明里は、困ったような顔を浮かべながら言う。

「亮太郎。この時間にいるなんてめずらしいね…。ごめん、帰ってきたんじゃないんだ。まだ少し菜奈のところにいると思う」

「え、まだ帰らないの?じゃあなんで…」

「ちょっと、物取りに来たの」

声は優しいけれど、少し張り詰めていた。

― まさか、荷物を引き上げるために?俺たち、別れるなんてこと…。

ふと湧いた自分の考えに、自分で耐えられなくなる。俺はまるで小さな子どもが母親を追うみたいに、リビングに上がりPCデスクの引き出しを開けようとする明里のあとを追った。

「何取りにきたの?」

そう聞くまでもなく明里の手元をみると、持っているのはマイナンバーカードだった。

「どうしたの?」

「うん、ちょっと。病院行くのに必要で」

「病院?えっ、病気なの?」

「いや、病気…じゃないんだけど…」

何もかも話す必要はない、なんて考えたことが嘘のように、俺は明里を質問責めにしてしまう。

明里がもしも病気なら、俺が助けてあげたい。朝ごはんだって俺が作るから、あの大きなベッドでゆっくりと休んで欲しい。

不安と心配と、それから明里への気持ちが溢れて、歯止めが聞かなかった。

だけど、次の瞬間。

そんな俺についに観念して明里が言った言葉に、俺は頭が真っ白になった。

少し痩せた気がする尖った肩を震わせて…明里は言ったのだ。

「婦人科に行くの。もしかしたら、妊娠したかもしれないから」


― ニンシン…?

その言葉の漢字が「妊娠」だとようやくわかった時。真っ白になっていた俺の頭の中は、一瞬にして“ある感情”で満たされた。

それは、確信だった。一連の全ての出来事が、明里と俺のためのお膳立てのように思える。

もう迷うことはなかった。

啓示にも似たその確信の気持ちは、目まぐるしくまた形を変え、紛れもない深い愛情になっていた。


気がつけば俺は、明里をそっと抱き寄せていた。

そして、この数ヶ月間ずっとずっと温めていた言葉を差し出す。

指輪は準備できなかったけれど、かまうもんか。次会ったら言うと決めていたのだ。


「じゃあさ…結婚しようよ」


そう言った俺の声に、迷いはなかった。


これっぽっちも、なかったのに。


▶前回:「何もないって言われたけど…」彼氏が他の女と連絡を取っていたことが発覚。30歳女は思わず…

▶1話目はこちら:恵比寿で彼と同棲を始めた29歳女。結婚へのカウントダウンと意気込んでいたら

▶Next:3月31日 月曜更新予定
ついに決意のプロポーズをした亮太郎。しかし、心待ちにしていたはずの明里は…

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この記事へのコメント

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No Name
あれだけ明里の事が大好きで明里じゃないとダメなんだと思ってたのに、「じゃあさ…結婚しようよ」はちょっと軽過ぎない?
妊娠したんじゃ仕方ないから結婚しようよとも受け取れる。 この先どうなるんだろう、来週が待ちきれない。
2025/03/24 05:2141返信3件
No Name
亮太郎がぐずぐずしてるから、明里の気持ちはどんどん冷めてきている感じ。
2025/03/24 06:1524
No Name
今は結婚する気はないと言ってしまった事やぬくぬく安定した家庭で平和ボケしながら育ったせいで明里を必要以上に不安にさせてる事、歌織との件も全て申し訳なく思ってるとまずは伝えて話合う必要はあると思う。亮太郎も悪い奴ではないんだけど明里の気持ち全然考えず自分の意志だけで行動してきた部分もあるよね。同棲前明里は不仲なのに家族へ亮太郎を紹介した。でも亮太郎は兄貴も結婚決まってからだったし俺も同じでいいや的に明里を両親に紹介しなかった。そんな細かい所が積もり積もって不安にさせてるのだから。
今5月末で、ティファニーを隠し持ってプロポーズするのは確かこの年のクリスマス。 まさか流産とかそんな辛い展開にならない事を願うばかり。
2025/03/24 05:4421
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