2025.03.17
1LDKの彼方 Vol.13はっきりとした記憶があるのは、皆さんが帰ってからのことだ。
「あんまりお二人のお邪魔したらいけないもんねっ、ありがとうございました!」
そう口々にお礼を言いながら上機嫌で23時前には帰っていき…後に残されたのは、私と、亮太郎と、重苦しい沈黙だけだった。
「…ごめん」
掠れるような亮太郎の声が、投げ捨てられた紙屑みたいにコソリと床に落ちる。
「明里、ごめん」
「…なにが?」
「隠すつもりじゃなかった」
「つもりはなくても、隠されてたよね」
歌織のこととなると冷静でいられない私は、どうしたらいいのかわからない。私の口からは、ぶっきらぼうな自動返答しか出てこない。
けれど、次の瞬間。
亮太郎の声は急に悲痛な湿り気を帯びて…そして、私の体に突き刺さった。
「ごめん。隠してたのは悪いと思ってるけど、やましいことは本当にないから。
…っていうか、やましいって何?こんなこと言ったらダメかもしれないけど、何があってどうなっちゃってるの?
明里と歌織ちゃんの間に何があったのか何も教えてもらってない以上、俺、明里のためにどうすればいいのか正解がわからないよ!」
「じゃあ言うよ!全部教えてあげる!」
幸福からの衝撃のせいなのだろうか?感情がジェットコースターのように激しく振り乱れているのが、自分でも分かった。
心の片隅で冷静ないつもの自分が「やめて」と叫んでいる。でも、止めることができない。亮太郎だけは裏切らないと思ってたのに。ダイヤの結晶のようだった信頼が砕けて、無数の鋭い破片に変わり、私を傷つけた。
「全部、歌織に取られてきたの!亮太郎だって、歌織にとられちゃうよ…歌織は、だって、私と違って可愛いから!」
目の前の亮太郎は、歪んだ表情を浮かべている。溺れる人を前にしているような…とにかく見たことのない顔。
不思議な顔をされても当然だ。「要領のいい妹に何もかも横取りされてきた」だなんて、温かい家庭で育った人にとっては、くだらないレディコミのあらすじでしかない。
全てを吐き出してしまった私は、もう空っぽ──ううん、そうじゃない。
亮太郎にムカついていて…でもそれ以上に恥ずかしくて、情けなくて、自分が嫌で嫌でたまらなかった。
大好きな亮太郎には、こんな私を見せるつもりはなかった。綺麗で、少し甘えん坊かもしれないけれど、それでもちゃんと自立している私だけを見て欲しくて頑張ってきたのに…。
いますぐに、どこかに隠れてしまいたい。
それなのに、この1LDKの中では、私たちは向き合うしかない。
亮太郎という鏡に、ダサい自分をありありと映さなくてはいけない。
認めたくなかったけれど、ここまできたら認めるしかなかった。「結婚したい」と強く願いながら、「こんな自分には無理なのかもしれない」という想いが、日に日に強くなっていく。
あまりの残酷さに耐えられなくなった私は、つい言ってしまったのだ。
「…同棲なんて、しなきゃよかった」
と。
どこかで、昔飼っていた犬のソラが悲しそうに哭いているような気がした。
◆
逃げるように飛び出した夜の明治通りは、もう5月だというのに肌寒かった。
部屋には戻れない。実家にはもちろん帰れない。
そうして菜奈に電話をしたら、彼女は経営者交流会の最中だった。だから私は、普段なら参加しない華やかな会に顔を出すことになったのだ。
「ねえ明里、なんか島田さんといい感じじゃなかった!?」
「別に…そんなんじゃないよ。それより菜奈、本当に泊めてもらっていいの?」
「いいよいいよ!旦那、先週から2ヶ月イギリス出張だし。いつまでも居て大丈夫」
「ありがとう」
交流会後もまだ部屋に帰る気になれないでいる私を、菜奈は『KJ TOKYO』から程近い元麻布の自宅マンションに泊めてくれるという。
交流会で島田さんに気遣いしてもらったことで、少しは冷静になれたような気がしていたけれど、何度も来たことのある菜奈の家でソファに寝転がると、ようやく本当に心からひと心地つけたような気がした。
「いやー、しかし明里、すごい顔だね。亮太郎くんと喧嘩したの?」
ボロ雑巾のように身を横たえる私に、菜奈が軽い口調で声をかけてくれる。菜奈はいつだってこうなのだ。正しい距離感を保てるところを、私はすごく尊敬している。
「喧嘩っていうか…うん。私が自爆したっていうか」
「よしよし、今夜は付き合いますよ。どうする?ビールでいい?」
「うーん、いいや。お水もらってもいいかな」
口籠る私の様子を見て、恥ずかしくて話せたような内容ではないことを見越してなのか、お酒を勧めてくれるのも菜奈の常だ。
けれど今夜の私は、不思議とどうしてもお酒を飲むような気持ちになれない。安心したことで、胃のムカムカがますます輪郭を強めているように感じた。
― 今頃亮太郎、ドン引きしてるだろうな…。
背中を丸める私に、菜奈がお水のグラスを運んできてくれる。気を抜くとすぐに亮太郎のことを考えてしまう私に、菜奈の笑顔は気付け剤のような効果があった。
だけど…グラスを差し出しながら菜奈が言った言葉に、私は思わずフリーズしてしまう。
「はいお水。私ももう水にしとくわ、最近次の日辛くてさぁ。30歳にもなると、ホルモンに振り回されっぱなしだよね〜」
「あはは、ホルモンのせいなのかな…」
そう笑いつつ、ふと思い当たってしまったのだ。
― ホルモン…。そういえば私…。しばらく、来てない。
▶前回:付き合って1年以上の彼女に隠している秘密。28歳男が、プロポーズに踏み切れない理由
▶1話目はこちら:恵比寿で彼と同棲を始めた29歳女。結婚へのカウントダウンと意気込んでいたら
▶Next:3月24日 月曜更新予定
明里の体に訪れる変化。そんなことはつゆ知らず、部屋で落ち込む亮太郎は…
相当意味不明、チコの奴どうしてこんな事言うんだろう? まさか歌織とグルなのか? 単にデリカシーのカケラも無いだけなのか?
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