マティーニのほかにも Vol.16

三軒茶屋のバーで出会った20代男女。曖昧な関係のまま半年が経ち、ある夜男が…

東京に点在する、いくつものバー。

そこはお酒を楽しむ場にとどまらず、都会で目まぐるしい日々をすごす人々にとっての、止まり木のような場所だ。

どんなバーにも共通しているのは、そこには人々のドラマがあるということ。

カクテルの数ほどある喜怒哀楽のドラマを、グラスに満たしてお届けします──。

▶前回:10月になると思い出す元カノ。年上女に恋した42歳男が、独身を貫き通しているワケ


Vol.14 <マティーニ> 佐藤至(いたる)(36)の場合


夜が、好きだ。

バーカウンターの中に立ちながら至(いたる)は、改めてそう感じた。

コンテンポラリージャズの流れる、静謐(せいひつ)な空間。

磨き上げた木製カウンターでちらほらと交わされる、密やかな会話。

カウンターには様々な形のグラスが並んでいて、そのグラスの──カクテルのどれもが、不思議とそれを飲む人の“本当の姿”を表している。

心が、丸見えになる。そんな不思議が起きるのは、バーという場所をおいては他のどこにもない。

静謐で、密やかで、親密なカクテルの魔法。

その魔法を司る魔法使い…バーテンダーとして生きる夜の時間を、至はこの上なく愛しているのだった。

至がこのバーをオープンして、この秋でちょうど5年を迎えた。

三軒茶屋の住宅地という立地上、お客は決して、ひっきりなしの入れ食い状態というわけではない。

けれど、メイン層である近隣の住民や勤務者のお客のうち、ほとんどが数ヶ月から数年通ってくれている常連客だというのは、至にとっては理想的な状況といえる。

カクテルの魔法をもって、お客様の人生に寄り添いたい。いい時も、悪い時も。

それが、至がこのバーをオープンするときに願ったことだったから。


「ご馳走さま」と小さな声でつぶやきながら、目の下に大きなクマを作った40代の男性客が席を立つ。

― 彼の今夜の苦しみを、少しでも癒やすお手伝いができていますように。

店内にたったひとり残っていたお客様を見送りながら、至がそう考えたその時だった。

「こんばんは…」

女性客と入れ違いに、遠慮がちに首をすくめながら新たなお客様が入ってくる。若い男女の客だった。

その二人組の姿を見るなり、至は思わず微笑みを浮かべる。

「ようこそ、いらっしゃいませ」

この記事へのコメント

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No Name
好きな連載が終わってしまった。一話二話の主人公二人が出てきたのは嬉しかったし心温まるストーリーで穏やかな気持ちになれた。正直、他の連載はほぼ似たような登場人物の婚活話だし港区港区してて読み疲れ感半端ない。ジレンマ?年収4千万、東大院卒のVIO脱毛?そんなのよりもっと普通に感動出来る連載を増やして欲しいけどねぇ。
2024/11/06 06:0339
No Name
佐藤さん一話で出てきたバーテンダーだったんだね。その時にボンドマティーニ頼んだ早紀子ちゃんと、それを笑った実家がはっさく農家の翔平、ふたりのハッピーエンドで締めくくるなんて…素敵な終わらせ方♡
2024/11/06 05:2537返信1件
No Name
最後の
夜が、好きだ。
からの文章すごいいいなぁと思いました。タイトルである「マティーニのほかにも」で締めくくるなんて素晴らしい。 またこのライターさんの小説を読みたいので楽しみにしています。
2024/11/06 05:4836
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