2024.10.07
恋のジレンマ Vol.6◆
智樹は、山岸が出場するというフィジークの大会にやってきた。
会場となっている総合体育館は、ほぼ満員の状態。ステージ上にいる選手に向けて、客席から声援が送られる。
「キレてるよ!キレまくってるよー!!」
「肩にメロンのってんのかーい!!」
やや癖の強い掛け声が多くあがり、まるで観客同士も競い合っているかのようで、熱気に満ち溢れている。
― すげえ盛り上がってんなぁ…。
智樹は圧倒されながらも、ステージ上の選手たちに視線を向ける。
現在、180cm以下級の出場者がパフォーマンスを披露しており、横一列に並ぶ選手のなかに山岸の姿があった。
鍛え上げられた見事な肉体。スポットライトを浴びることで筋肉の印影が際立ち、芸術作品のような美しさを見せる。
山岸は真剣な表情でポーズをとっては、時おり白い歯を見せて笑顔を決め、自信に満ちた視線を客席に放つ。
智樹も周囲に負けじと声援を送ろうとするのだが、上手いフレーズが浮かばず、気恥ずかしさもあってためらってしまう。
― もし俺があの場所に立つことになったら、どうなるんだろう…。
ふと、智樹は自分が大会に出場しているシーンを思い描いた。
披露した自身の肉体に湧き上がる観客、飛び交う声援を想像すると胸が高鳴るところはある。
しかし、未知なる領域に足を踏み入れる決断への、最後のひと押しとなるものがなかった。
― 次は女性の部か…。
山岸を含めた男性選手たちが舞台袖へと捌けていき、次のプログラムが会場内にアナウンスされた。
「続いては、女子フィジーク160cm以下級に出場の選手の入場です」
音楽とともに女性選手がステージ上に並び始めると、再び客席から大きな歓声があがった。
男性選手の放つ威圧感とはひと味違う、美しさを重視したような華やかさを感じる。
― ん、んん…!?
入場する選手たちを眺めていると、ひとりの女性に目が留まった。
見覚えのある女性だ。
智樹は前のめりになり、何度も目を瞬かせた。
― 嘘だろう…。梨穂さん…!?
ソムリエエプロンをまとった清楚な印象の梨穂が、まるで装いを変え、ビキニ姿で健康的な肌を晒しながら誇らしげにポーズを決めていた。
◆
大会が終了し、智樹はロビーで出場者が出てくるのを待っていた。
― いやあ、驚いたなぁ。まさか梨穂さんが出場しているなんて…。
ビキニ姿でポーズを決める梨穂の姿が、目に焼きついている。アドレナリンが全身を駆け巡るような興奮が、今もなお冷めない。
躊躇していた掛け声も、いつの間にか大きく張り上げてしまっていた。そのせいで喉の奥が痛む。
― そうか。だから梨穂さんは、俺の体の変化にすぐに気づいたんだ。
ダイエットを始めた智樹に敏感な反応を示したのは、自らも肉体への意識が高かったからなのだと納得がいく。
そのとき、出場者専用のゲートから、着替えを終えた山岸が出てきた。
「山岸!お疲れ!」
智樹が声をかけると、満面の笑みを浮かべて近づいてきた。
「おお、森永!応援ありがとう!どうだ、楽しめたか?盛り上がってただろう?」
「ああ、すごかったよ」
「そうだろう。興味を持ったんじゃないか?」
「うん、まあ…」
会話をしているとすぐに梨穂が姿を現した。
声をかけようか迷っていると、脇を通り過ぎようとしたところで山岸が先に呼び止めた。
「梨穂さん。お疲れさま!」
「ええっ!梨穂さんと知り合いなの?」
すると、振り返った梨穂もまた、智樹の存在に気づいた。
「あれ…?森永…さん?」
梨穂も驚いた様子を見せる。
「知り合いもなにも。梨穂さんとは同じジムでトレーニングしているんだ」
「そうだったの!?」
そこで智樹は、自分が梨穂の勤めているワインバーの客であること、山岸は会社の同僚であることをそれぞれに説明する。
「意外と、近くに共通の知り合いがいたんですね」
梨穂がいつものように大きな目を細めて、にっこりと笑った。
「俺、こいつをジムに入会させようと思ってるんです」
山岸がそう言うと、梨穂が表情をパッと明るくした。
「そうなんですね!」
「あ、いや。まだ決めたわけでは…」
「そうだ。このあと、ジムのみんなで打ち上げに行くんですけど、森永さんも一緒にどうですか?ビアガーデンなんですけど」
「梨穂さん、ビール飲まれるんですか?」
「実は、飲むのはワインよりもビールのほうが好きなんです。大会が終わって、やっと飲めるから楽しみで」
「そうなんですか…」
「どうですか?一緒に」
梨穂の言葉を聞いて、足に絡みついていた重たい鎖が外れたような気分になった。
一気に視界がクリアになり、進むべき道が拓けたようにも感じられる。
「はい!行きます!」
梨穂の誘いに、智樹は声高らかに応える。
そしてジムへの入会についても、智樹はすでに、晴れやかな気持ちで決断していた。
▶前回:会社帰りに立ち寄った有楽町のバーで思わぬ出会いが。 大手IT勤務・29歳男はつい…
▶1話目はこちら:職場恋愛に消極的な27歳女。実は“あるコト”の発覚を恐れていて…
▶NEXT:10月14日 月曜更新予定
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