2024.09.23
恋のジレンマ Vol.4萌絵の願いも虚しく、翌週も、須間は戻ってこなかった。
2週続けて別のスタッフの作った弁当を板垣に差し入れたが、やはり反応はイマイチ…。
だが昨日、家事代行サービスの事務所から連絡があり、今日から須間が戻ってくると聞いていた。
仕事を終えた萌絵は、帰宅するとすぐに冷蔵庫を覗いた。
作り置きのおかずの入った容器を取り出し、味を確かめる。
「うん!これこれ!やっぱり、須間さんの料理は美味しい!」
具体的に何が違うとは言い難いが、舌を魅了する特別感がある。
弁当の中身も確認すると、色彩豊かで心弾むような仕上がりになっていた。板垣の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
そのとき萌絵は、リビングのテーブルの上にまたしても手紙が置いてあるのに気づく。
― ええ…。また休むとかじゃないよねぇ…。
萌絵は、恐る恐る封筒を手に取った。
便箋を取り出すと、中にもうひとつ別のものが入っていた。
― USBのメモリースティック?なんだろう…。
ひとまず、手紙の内容に目を通す。
そこには、どうして2週間も休暇を取ったのか、理由が記されていた。
『父親が体調を崩したため、しばらく実家に戻っていました。』
須間の実家は、四国の香川にあると聞いていた。
さらに読み進めると、重大な言葉が目に飛び込んでくる。
『実は、やはり父親の病状が芳しくなく、仕事を辞めて地元に戻ることにしました。』
萌絵は、思わず「ええっ!」と声をあげてしまった。父親の体調を考慮すれば仕方がないが、東京で仕事を続けて欲しいという思いがこみ上げる。
だが、主な理由は弁当作りを依頼したいがためであり、萌絵の単なるエゴに過ぎなかった。
― で、このメモリースティックは…?
『私がこれまで作ってきた料理のレシピを作成して、保存しておきました。』
萌絵はメモリースティックをパソコンに差し込み、中身を確認した。
― うわっ。すごく詳しく書いてくれてる。
萌絵が料理を苦手としていることを察していたのだろう。
初心者でもわかりやすいよう分量なども細かく記され、詳しい解説も添えられている。
料理の数も30品目以上に及んでいた。
― 須間さん、家のことで大変だったはずなのに…。
忙しい合間を縫ってレシピを作成してくれている須間の姿を思い浮かべ、心苦しく感じた。
萌絵は、再び手紙に視線を落とす。
『私が料理を作って差し上げられるのは、今回で最後になります。美味しいと喜んで頂いたときの長濱様の笑顔が、私にとっての何よりの宝物です。』
萌絵は、しばらく手紙を見つめていた。
須間が、いかに心を込めて料理を作ってくれていたかが伝わってくる内容だった。
― 私は、須間さんをいいように利用していたんだ…。
須間の厚意をダシに使い、悪用していたかのような気分になる。
板垣に提供していた弁当も、自分を介すことで粗悪なものになってしまっていたような気がして、罪悪感に駆られた。
萌絵は立ち上がると、キッチンに向かった。
◆
翌日。萌絵は、昼休みに板垣とともに公園を訪れた。
「はい、これ。今日のお弁当…」
恒例の儀式となった弁当の受け渡しだが、萌絵の様子はいつになく控えめだ。
嬉しそうに受け取った板垣は、さっそく蓋を開ける。
「おっ…。え、ええ…?」
条件反射で、「美味しそう!」と言いそうになっていたが、すぐに戸惑う仕草を見せた。
弁当箱の中身が、思い描いていたものとだいぶ違ったからだろう。
まず、見栄えが良くない。
レンコンの挟み揚げは肉がはみ出し、玉子焼きも形が崩れてしまっている。
「なんか、いつもとちょっと違うね…」
「それ、私が作ったの」
「う、うん。わかってるけど…」
「違うの。それが本当に私の作ったお弁当なの…」
萌絵は、昨日須間の作ってくれた弁当を持ってこなかった。
須間の手紙を読み終えたあと、レシピを見て料理を始め、仕上げたものを持参したのだ。
そして、これまでの経緯を正直に話して聞かせた。
「そういうことだったか…」
「嘘ついて、ごめん…」
板垣が納得したように頷くと、弁当の中身を箸でひとつ摘まんで口に運んだ。
「美味しくないでしょう…?」
板垣が首を横に振る。
「そんなことないよ。美味しいよ」
「…本当に?」
「うん。これが初めて作るお弁当とは思えないよ…」
板垣はそう言いながら、次々と口に運んでいく。
「うん、うまいうまい」
今までも板垣の褒め言葉は嬉しかったが、今日の喜びとは比べものにならない。
「じゃあ、これからますます上達していくのが楽しみだな!」
「これからも作ってきていいの?」
「もちろん!それに俺、弁当のためだけに、2人で外に出てるわけじゃないし」
板垣が一旦箸をおく。
「こうやって過ごす時間って、職場にいるとなかなかないから…」
板垣は、少しはにかんだように呟くと、視線を萌絵の傍らに向けた。
「あと、それ」
ハンディタイプのウェットティッシュを指さす。
「いつもそれで、ベンチを拭いてくれてるよね。座るときだけじゃなくて、離れるときも。そういう気遣いって、あんまりできることじゃないと思うんだ」
「そう…かな…?」
― そんなところ、見てくれてたんだ。
萌絵としては無意識にとっていた行動なだけに、指摘を受けたのは驚きだった。気づいていてもらえたことに、嬉しさがこみ上げる。
「まあ俺は、そういうとこに好感を抱いたというか…」
板垣は、語尾を濁しながら再び箸を取り、弁当を食べ始める。
気づけば暑さも一段落している。秋晴れの澄んだ空気が2人のほほをなでた。
▶前回:週1回、意中の彼にお弁当を作る25歳女。料理に隠された“後ろめたい秘密”とは
▶1話目はこちら:職場恋愛に消極的な27歳女。実は“あるコト”の発覚を恐れていて…
▶NEXT:9月30日 月曜更新予定
過酷なダイエットに挑戦する男性。そのキッカケとなった出会いとは…
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