2024.09.11
マティーニのほかにも Vol.10「かしこまりました」
爽やかな笑顔で返事をしたバーテンダーが、少しの間を置いて、龍一にふたつのグラスを差し出す。ひとつは、チェイサー。もうひとつは、ストレートのウイスキーだ。
「お待たせいたしました。ラガヴーリン16年でございます。アイラ系のシングルモルトの中でも、特に特徴的な味わいですよ」
「ありがとう」
くさくさとした気持ちで頭がいっぱいの龍一は、ろくに説明も聞かずに、出されたストレートのウイスキーを勢いよく口に含む。
しかし、次の瞬間。想像以上の個性的な風味に思わず顔を歪めた。
「ぐわ…ぁ…!」
舌に乗った瞬間、煙が立ち込めるように鼻まで抜ける煙の匂い。木が焼けたような焦げた風味。
スパイシーで爆発するような風味に襲われた龍一は、まるで間違えて葉巻をかじってしまったのではないかと味覚を疑う。
「こ…れは…、僕の好みとはちょっと…」
「おや、苦手でしたか?」
そう言って微笑みを浮かべるバーテンダーの顔が、妙に苛立たしい。けれど龍一は、この状況に納得する気持ちもあった。
無難にしていても、うまくいかない。
個性的なものにチャレンジしても、痛い目を見るだけ。
そんな状況がまるで、自分自身そのもののように感じたのだ。
『奥さん、大事にしてね』──。
もともと、事なかれ主義のかたまりのような龍一だ。沙耶香のことは仁美に言われるまでもなく、これまで何度も大切にしようと試みてきた。
結婚してからの3ヶ月間も全力を尽くしたつもりだったし、仁美と一度別れた後も、意外にも、再構築に奮闘したのだ。
「離婚したいのは、沙耶香とうまくいかないと思ったからだけじゃない。離れてる間、すごく好きな人ができたんだ。
その人とはもう終わってしまったけど、他の人に気持ちが向いてしまった以上、結婚生活は続けていられないよ」
仁美と引き裂かれた時。正直に沙耶香にそう伝えたところ、沙耶香は意外にも、龍一に泣いてすがった。
そのいじらしい姿に罪悪感を覚えた龍一は、罪をあがなう意味も込め…もう一度、薬指に結婚指輪をはめて、沙耶香との結婚生活にチャレンジしたのだった。
けれど、やはり人間には相性というものがある。
再び始まった結婚生活でも龍一は、やはり沙耶香の気性の荒さ、感情の起伏についていくことができず、すぐにまた別居することになってしまった。
目の前の個性的すぎる味わいのウイスキーは、どことなく沙耶香の性格を彷彿とさせる。
― やっぱり、合わないものは合わない…。
目の前のグラスをじっと見つめながら思い詰める龍一だったが、そんな彼にカラッとした声でバーテンダーが声をかける。
「お好みじゃなかったようで、こちらに差し替えますね」
そう言って差し出したのは、美しい琥珀色のハイボールだった。
「え、あ…。なんか、すみません」
バーテンダーの意外な計らいにほんの少しだけ気を緩めた龍一は、ゆっくりとハイボールに口をつける。
そして、ハッとした顔で、バーテンダーに問いかけた。
「これって…」
「はい。先ほどと同じ、ラガヴーリン16年です」
先ほどストレートで飲んだ時は「煙い」とすら感じたスモーキーな風味。その風味が炭酸と見事に調和し、爽快かつ爽やかな一杯に表情をガラリと変えている。
「すごい、これなら飲める」
驚きの表情を浮かべる龍一に、バーテンダーはさらにグラスを差し出した。
「これはどうです?サービスするんで、トライしてみてください」
脚付のテイスティンググラスで提供されたのは、今度はトワイスアップ──水割りだった。
「こっちは、シェリーっぽいフルーティな甘みを感じる…」
ストレートの時に感じたようなビリビリする強烈なスパイシーさが和らぎ、代わりに、芳醇な香りが際立っていた。
「嘘みたいだ。飲み方が違うだけで、こんなに印象が違うなんて」
龍一がしみじみとした感動を味わっていると、バーテンダーが嬉しそうな顔を浮かべる。
「良かったです、良さを知ってもらえて!たったひと口やふた口だけで『苦手』って言われたら、可哀想ですもん。
魅力っていうのは、引き出す側でも変わってくるってもんですよ」
「引き出す側にも…」
そう龍一がつぶやいた、その時だった。ワイシャツの胸ポケットに入れていたスマホが、ブルっと振動する。
画面を確認すると、送り主は沙耶香だ。一通の画像がLINEで届いている。
おずおずと指先でタップすると、画像が大きく広がった。
『HAPPY BIRTHDAY!』
でかでかとデコレーションされた巨大な手作りバースデーケーキが、薄暗いバーのカウンターで、龍一の顔を照らした。
どう返事していいかわからないまま、画像を縮小する。
「龍一からの返事があるかないかなどお構いなし」といった具合に、緑色のメッセージが並んだ沙耶香とのトークルームが出現した。
ついさっきまで疎ましく感じていたその光景を目にして、龍一はふと思う。
― 俺って、沙耶香の魅力を、一度でも引き出そうとしてみたことがあったっけ…。
仁美のことが好きだ。今はまだ、何をしようとしても、仁美のことばかりが心に浮かぶ。
だけど、それとはまた違った心の部分で、龍一はほんの少しだけ思うのだった。
― ほんの短い時間一緒に過ごしただけで、「合わない」って結論を出して良かったのかな。
「あとはね、ロックで長い時間をかけて飲んだりするとまた、違った表情を見せ続けてくれて、急に好きになったりするんですよ。それから…」
龍一がスマホをじっと見ていることに気づいているのかいないのか、バーテンダーはまだ、ウイスキーの飲み方についての講釈を垂れ続けている。
今はまだ、LINEにもバーテンダーにも返事の仕方がわからない。
けれど龍一は、ゆっくりと、密かに、次の注文について考えていた。
― 今のグラスをきちんと飲み干すことができたら…。今度はロックに、挑戦してみようか。
▶前回:23時の恵比寿でナンパされ、バーに行った28歳女。しかし30分後、後悔したワケ
▶1話目はこちら:国立大卒の22歳女。メガバンクに入社早々、打ちのめされたコト
▶Next:9月25日 水曜更新予定
結婚生活が始まってすぐ、離婚と別居を突きつけられている沙耶香の本音
龍一もそんなに仁美が好きだったなら結婚指輪外して会うとか再会した時に離婚する事を伝えていたら違ってたかもしれないのに....
もう1杯ロック飲んだら、勇気出して離婚話しに行け。
とにかくまず独り身になってから仁美に連絡!
それが出来ないなら一生負け犬人生だよ。キャイーン!
【マティーニのほかにも】の記事一覧
2024.07.31
Vol.8
エアコンの設定温度でケンカに…。夏のお家デートで露呈した、29歳男の本性
2024.07.17
Vol.7
「俺ってズルいのかも…」27歳男が、10歳上の女性の魅力にハマった理由
2024.07.03
Vol.6
元彼が忘れられない。思い出の場所で感傷的になった37歳女は思わず勢いで…
2024.06.19
Vol.5
損保勤務の28歳独身男がNY駐在に。現地でハーフの彼女ができて、夢中になった結果…
2024.06.05
Vol.4
一橋卒の28歳エリート証券マン。上司から誘われ、日本橋のバーに渋々付いて行ったら…
2024.05.29
Vol.3
港区の1LDKで彼氏と同棲して1年半。30歳女が深夜1時に帰宅すると、男が吐き捨てた一言とは
2024.05.22
Vol.2
初デートで渋谷のレストランに連れていったら、「なんか違う…」と男がフラれた理由
2024.05.15
Vol.1
マティーニのほかにも:国立大を卒業してメガバンクに就職した22歳女。初めて東京のバーに行ったら…
おすすめ記事
2024.08.14
マティーニのほかにも Vol.9
田園調布雙葉出身、親は開業医の28歳女性の婚活が難航するワケ。男との交際を反対されたがその裏には…
- PR
2024.09.01
「彼氏がデートのあとにすぐに寝てしまった…」寂しくなった30歳女が、こっそりスマホで見ていたものとは
2024.09.02
恋のジレンマ
恋のジレンマ:職場恋愛に消極的な27歳女。実は“あるコト”の発覚を恐れていて…
- 関西
2018.07.09
大阪LOVERS
「東京にはあるけど、大阪にはないねん」30歳大阪女がキャリアを捨てても守ると誓った、かけがえのないもの
2018.06.18
東京パワースポット物語
東京パワースポット物語:不幸な32歳女にセレブ婚をもたらした“縁結び神社”と、5つの掟とは?
2020.07.30
それでも、私は東京で消耗する
それでも、私は東京で消耗する:年収1,000万の慶應卒女が、都心暮らしに拘る理由
2017.10.10
東京シンデレラ
東京シンデレラ:同じ空間にいても、誘われる女と誘われない女。その残酷な評価
2023.06.13
マッチングアプリの答えあわせ【Q】~SEASON2~
経営者の女が、アプリで必ず直面する問題。男から“お金がかかる女”と判断されるNG行為とは
2018.03.06
シバユカ
シバユカ:タワマンホムパに群がる女はパセリのようなもの。所詮、添え物は本命になれない
2024.06.30
男と女の答えあわせ【A】
初デートの待ち合わせ。電動キックボードで来た28歳男に、女が思ったコトは?
東京カレンダーショッピング
『佐藤養助商店』:門外不出の技による、喉ごし滑らかな"稲庭干饂飩"
『かに物語』:ふっくらと肉厚な一本爪が2本入ったフレンチカレー
『西岡養鰻』:特製タレ付き!脂の乗った高品質な鰻を土佐備長炭で丁寧に焼き上げた蒲焼
『マルヒラ川村水産』:ご飯に載せて贅沢いくら丼!1粒1粒に旨みが凝縮された、とろける食感の北海道函館産天然いくら
『North Farm Stock』:北海道産ミニトマト使用!糖度が高く、コクとうまみがたっぷり詰まったトマトジュース
『ル・ボヌール 芦屋』:フリーズドライフルーツにホワイトチョコがたっぷりと染み込んだ新感覚スイーツ
『HAL YAMASHITA 東京』:シルクのようななめらかさ!冷え冷えトロリの新食感"ウォーターチョコレート"
この記事へのコメント