マティーニのほかにも Vol.10

結婚わずか3ヶ月で別居した35歳会計士。「妻とはもう無理」と思った理由とは

「かしこまりました」

爽やかな笑顔で返事をしたバーテンダーが、少しの間を置いて、龍一にふたつのグラスを差し出す。ひとつは、チェイサー。もうひとつは、ストレートのウイスキーだ。

「お待たせいたしました。ラガヴーリン16年でございます。アイラ系のシングルモルトの中でも、特に特徴的な味わいですよ」

「ありがとう」

くさくさとした気持ちで頭がいっぱいの龍一は、ろくに説明も聞かずに、出されたストレートのウイスキーを勢いよく口に含む。

しかし、次の瞬間。想像以上の個性的な風味に思わず顔を歪めた。

「ぐわ…ぁ…!」

舌に乗った瞬間、煙が立ち込めるように鼻まで抜ける煙の匂い。木が焼けたような焦げた風味。

スパイシーで爆発するような風味に襲われた龍一は、まるで間違えて葉巻をかじってしまったのではないかと味覚を疑う。

「こ…れは…、僕の好みとはちょっと…」

「おや、苦手でしたか?」

そう言って微笑みを浮かべるバーテンダーの顔が、妙に苛立たしい。けれど龍一は、この状況に納得する気持ちもあった。

無難にしていても、うまくいかない。

個性的なものにチャレンジしても、痛い目を見るだけ。

そんな状況がまるで、自分自身そのもののように感じたのだ。

『奥さん、大事にしてね』──。

もともと、事なかれ主義のかたまりのような龍一だ。沙耶香のことは仁美に言われるまでもなく、これまで何度も大切にしようと試みてきた。

結婚してからの3ヶ月間も全力を尽くしたつもりだったし、仁美と一度別れた後も、意外にも、再構築に奮闘したのだ。

「離婚したいのは、沙耶香とうまくいかないと思ったからだけじゃない。離れてる間、すごく好きな人ができたんだ。

その人とはもう終わってしまったけど、他の人に気持ちが向いてしまった以上、結婚生活は続けていられないよ」

仁美と引き裂かれた時。正直に沙耶香にそう伝えたところ、沙耶香は意外にも、龍一に泣いてすがった。

そのいじらしい姿に罪悪感を覚えた龍一は、罪をあがなう意味も込め…もう一度、薬指に結婚指輪をはめて、沙耶香との結婚生活にチャレンジしたのだった。


けれど、やはり人間には相性というものがある。

再び始まった結婚生活でも龍一は、やはり沙耶香の気性の荒さ、感情の起伏についていくことができず、すぐにまた別居することになってしまった。

目の前の個性的すぎる味わいのウイスキーは、どことなく沙耶香の性格を彷彿とさせる。

― やっぱり、合わないものは合わない…。

目の前のグラスをじっと見つめながら思い詰める龍一だったが、そんな彼にカラッとした声でバーテンダーが声をかける。

「お好みじゃなかったようで、こちらに差し替えますね」

そう言って差し出したのは、美しい琥珀色のハイボールだった。

「え、あ…。なんか、すみません」

バーテンダーの意外な計らいにほんの少しだけ気を緩めた龍一は、ゆっくりとハイボールに口をつける。

そして、ハッとした顔で、バーテンダーに問いかけた。

「これって…」

「はい。先ほどと同じ、ラガヴーリン16年です」


先ほどストレートで飲んだ時は「煙い」とすら感じたスモーキーな風味。その風味が炭酸と見事に調和し、爽快かつ爽やかな一杯に表情をガラリと変えている。

「すごい、これなら飲める」

驚きの表情を浮かべる龍一に、バーテンダーはさらにグラスを差し出した。

「これはどうです?サービスするんで、トライしてみてください」

脚付のテイスティンググラスで提供されたのは、今度はトワイスアップ──水割りだった。

「こっちは、シェリーっぽいフルーティな甘みを感じる…」

ストレートの時に感じたようなビリビリする強烈なスパイシーさが和らぎ、代わりに、芳醇な香りが際立っていた。

「嘘みたいだ。飲み方が違うだけで、こんなに印象が違うなんて」

龍一がしみじみとした感動を味わっていると、バーテンダーが嬉しそうな顔を浮かべる。

「良かったです、良さを知ってもらえて!たったひと口やふた口だけで『苦手』って言われたら、可哀想ですもん。

魅力っていうのは、引き出す側でも変わってくるってもんですよ」

「引き出す側にも…」

そう龍一がつぶやいた、その時だった。ワイシャツの胸ポケットに入れていたスマホが、ブルっと振動する。

画面を確認すると、送り主は沙耶香だ。一通の画像がLINEで届いている。

おずおずと指先でタップすると、画像が大きく広がった。

『HAPPY BIRTHDAY!』

でかでかとデコレーションされた巨大な手作りバースデーケーキが、薄暗いバーのカウンターで、龍一の顔を照らした。


どう返事していいかわからないまま、画像を縮小する。

「龍一からの返事があるかないかなどお構いなし」といった具合に、緑色のメッセージが並んだ沙耶香とのトークルームが出現した。

ついさっきまで疎ましく感じていたその光景を目にして、龍一はふと思う。

― 俺って、沙耶香の魅力を、一度でも引き出そうとしてみたことがあったっけ…。

仁美のことが好きだ。今はまだ、何をしようとしても、仁美のことばかりが心に浮かぶ。

だけど、それとはまた違った心の部分で、龍一はほんの少しだけ思うのだった。

― ほんの短い時間一緒に過ごしただけで、「合わない」って結論を出して良かったのかな。

「あとはね、ロックで長い時間をかけて飲んだりするとまた、違った表情を見せ続けてくれて、急に好きになったりするんですよ。それから…」

龍一がスマホをじっと見ていることに気づいているのかいないのか、バーテンダーはまだ、ウイスキーの飲み方についての講釈を垂れ続けている。

今はまだ、LINEにもバーテンダーにも返事の仕方がわからない。

けれど龍一は、ゆっくりと、密かに、次の注文について考えていた。

― 今のグラスをきちんと飲み干すことができたら…。今度はロックに、挑戦してみようか。


▶前回:23時の恵比寿でナンパされ、バーに行った28歳女。しかし30分後、後悔したワケ

▶1話目はこちら:国立大卒の22歳女。メガバンクに入社早々、打ちのめされたコト

▶Next:9月25日 水曜更新予定
結婚生活が始まってすぐ、離婚と別居を突きつけられている沙耶香の本音

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この記事へのコメント

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No Name
やっぱりもう沙耶香とは無理なんじゃないのかなぁ。気性が荒くて感情の起伏が激しい人とはなかなか再構築は難しいと思う。言ってしまえばモラハラ妻だよね。
龍一もそんなに仁美が好きだったなら結婚指輪外して会うとか再会した時に離婚する事を伝えていたら違ってたかもしれないのに....
2024/09/11 05:1926
No Name
ずっとスルーされてるのに構わず私通信送ってくるうざい人苦手だな。お前のネイルなんて心底どうでもいいわ。巨大手作りケーキも怨念こもってそうで怖い。ストーリーとしては「もう一度向き合ってみよう」と思えた事が正解かもだけど、現実的にはもう不可能だろうなと思ってしまった。猛烈なアプローチが有ったにしてもアク強い女と結婚しちゃダメ。
2024/09/11 05:3126
No Name
負け犬のようにバーへ。
もう1杯ロック飲んだら、勇気出して離婚話しに行け。
とにかくまず独り身になってから仁美に連絡!
それが出来ないなら一生負け犬人生だよ。キャイーン!
2024/09/11 09:0010
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