2024.07.02
東京3C男子 Vol.4ロゴコンペの結果発表から数週間たった。
「福浦さん、ちょっと時間あるかな。例のコンペの件で」
祝日を挟んだ連休明けの朝。出社するなり唯子は、コンペの主催である商品企画部の上席から直接呼出しを受けた。
「あ…はい」
わけがわからぬまま、唯子は社内でも一番大きな会議室に案内される。
― 一体、何があったんだろう。
しん、と静まり返った会議室。そこには総務のコンプライアンス担当係も数名同席していた。
無機質なオフィス空間ながらも、重い雰囲気に押しつぶされそうになる。何もしていないのに責められているような圧力を感じ、おろおろと目を泳がせる唯子の戸惑いをよそに、担当者は淡々とした口調で話を切り出した。
「…私の作品が盗作って?」
「はい。匿名で告発がありました。身に覚えはありますか」
告発の内容とは、唯子の応募作がある画像サイトに掲載された絵柄の一部と酷似している、というものだった。
「ありません」
食い気味に断言する。断じて「していない」と言いきれる濡れ衣だったから。盗作など寝耳に水だ。
「ですよねぇ。わかりました。ま、単なるやっかみでしょうね」
「え…?」
以外にあっさりと、唯子の言い分は受け入れられた。
「酷似と言っても、モチーフである野菜の形が似ている程度のものでしたし、私たちも訴え自体に首をかしげています。念のため本人の主張を聞いてみなければと、こうやってお呼びさせて頂いたわけです」
「ありえません。一体だれが…」
唯子が怒りをあらわにすると、コンプライアンス担当が周囲の面々と目配せをし、SNSや掲示板の投稿データの数々が印刷されたコピーを提示した。
「ご存じですよね。この投稿者と同じ方です」
それは、SNSに疎い唯子が初めて目にする罵詈雑言であった。
「なんです?これ?」
唯子の言葉に、周囲は途端に動揺する。知っているものだと誤認していたようだ。
無理矢理尋ねて教えてもらう。どうやらコンペの結果発表後、SNSや掲示板に、会社や唯子に対する誹謗中傷が見られるようになったらしい。複数社員から通報があったという。
『…社の営業部にとんでもなく緩いオンナがいるらしい』
『営業部の福浦唯子ね。ジジイころがしで有名だよね。部長の愛人の噂』
『あのコンペは上層部に取り入った出来レースだったわけ』
『クソダサいし、センスもないのになぜ選ばれたのか納得』
唯子は怒りで震えたが、同時に、暗雲が胸の中に立ち込めるのを感じた。
― 嫌な予感…。
「内容からデザイン室の社員であることは確定的だったため、社内ネットワークを監視したところ、あっさり犯人は分かりました。
社内からの書き込みであること。たった1名が複数のアカウントを使い分けで行っていたこと。そういった悪質性を鑑みて、該当人物に対してはしかるべき処分をする予定です」
ドクン、と心臓が跳ねる。
嫌な予感がどうやら当たってしまっていたことに、胸がつまる。
処分される予定の人物に、唯子は心当たりがあった。
…少し前から瑛太は、体調不良で会社を休んでいるのだ。
「信じられない…」
「悔しかったんでしょうね。十数点応募したにもかかわらず、デザイン室とは無関係の社員に決まってしまったから」
担当者は犯人の名前こそ告げなかったが、唯子にとってはほとんど答え合わせのようなものだ。
目の前が、真っ暗になる。
恋人への失望で、唯子はどん底へと突き落とされたのだった。
3ヶ月後、唯子はデザイン室へ異動となったが、そこに瑛太はいなかった。
あれからすぐ、彼から「長崎の実家に帰ることになった」と一方的に別れを告げられ、連絡もブロックされてしまったのである。
「自分より仕事がデキる女は、彼女にしたくない」というのが、瑛太の本音なのだろう。
失望。諦め。怒り。しばらく連絡しても反応もなく、最後のメールが来ても、唯子は縋ることもしなかった。
この結果は、お互いの自業自得だと理解していたから。
もう、どうあがいても前のような関係には戻ることはできないのだと、納得の上の結末だった。
「ええと、デスクはここかな…」
異動後、初出社の日。
唯子が使うことになったのは、瑛太が使っていたワークブースだった。あまりの皮肉さに、乾いた微笑みを浮かべることしかできない。
彼が退社となって以来そのままだったようで、デスクはほこりにまみれている。
机の上のコミカルな落書きはそのまま。文具も引き出しに入ったままだ。かすかに感じるキリリとした胸の痛みを誤魔化しながら掃除をしていると、Macの裏に置き去りにされた一枚のポストカードを見つけた。
唯子がかつて心を奪われたロビーのポスターを印刷したものだ。
― これはもしかして…。
コンプライアンスとネットワークセキュリティーの対策を喚起する、そのデザイン。皮肉めいた瞳で眺めていると、その裏に瑛太の字で何か書かれているのを見つけた。
<<俺のファン第1号の唯子へ>>
クセのある弾んだ文字を、唯子はただ茫然と見つめることしかできなかった。
瑛太から初めて声をかけられたときの、彼の笑顔を思い出す。同時に、コンペに落選した時の虚ろな表情も重なる。
― クリエイターの繊細さは、理解できていたはずなのに…。
価値観と性格が通じ合った、似た者同士のふたり。だからこそ、互いに自分自身が大好きな者同士でもあった。すれ違うのも当然だ。
唯子は自身の至らなかった部分を反省しつつ、ポストカードを胸に抱く。
彼とは、恋人同士としてはうまくいかなかった。
だけどいつか、同じ方向を夢見る同志として、瑛太と再会できる日が来ることを、唯子は胸の奥で祈るのだった。
▶前回:出会って1ヶ月で交際に発展。社内で憧れていた彼を落とした25歳女のテクニック
▶1話目はこちら:富山から上京して中目黒に住む女。年上のカメラマン彼氏に夢中になるが…
▶Next:7月9日 火曜更新予定
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