「ねえ、どうして光司は私と付き合いたいと思ったの?」
恵比寿の路地裏にあるオーセンティックバーに連れていってもらったある日、春香は思い切って光司に尋ねてみた。
知人だというバーテンダーと、打ち解けて会話をする光司の姿…。ウイスキーグラスの丸い氷を細い指でもてあそぶ光司の都会的な身のこなしに、どうして自分のような凡人が隣にいられるのかが、わからなくなったから。
自分でも理解している。春香は、容姿は平凡。性格も平凡。高校の時から変わらないぱっつん前髪の黒髪ロングヘアは、多少個性的とは言われているものの…内面には何の面白みもない人間だ。
そんな自分を、光司のような上位の存在が受け入れてくれるなんて…。そんな不安が、ふと押し寄せてきたのだ。
けれど、怯える春香を落ち着かせるように、光司は言った。
「男はね…女の肥料になりたいものなんだよ。春香のようなまっさらな女性なら特にね」
カウンターの上のキャンドルライトに照らされながら、光司はウイスキーグラスを揺らす。隣でジントニックのグラスを傾ける23歳の田舎娘は、いつものようにわかったような空返事をする。
「なるほど…」
しかし、妙にセリフじみた言葉が引っかかり、光司がお手洗いに立った隙にスマホで検索してみた。
文豪・谷崎潤一郎の小説からヒントを得た言葉のようだ。
― 谷崎…今度読んでみなきゃ。
光司と過ごしていると、こういうことが多い。
モダンな美術館、ラグジュアリーなレストラン、ミニシアターの映画、学校で習わない文学作品──。彼から自然と投げかけられる不思議な啓示をなぞるように、デートの後も春香はその復習に余念がなかった。
「ユーロスペースで観たアキ・カウリスマキの新作が最高だったんだ」
「『みかわや』のカニコロッケが小さい頃からの大好物でね…」
「歌舞伎役者している同級生から招待券をもらったから行かない?」
コンプレックスを感じる隙がないほどの自然さで光司は、春香にいつも東京のヒントを与えてくれる。
それは時折、春香を戸惑わせながらも、より一層の学びを与えてくれるのだ。
― カメラマンと付き合って良かった…!
美意識の高い光司といるだけで、感性が磨かれたような気がする。出版社の編集職であるがゆえ、感度の高さは誰よりも求められる。
光司への憧れは、必然的に仕事にもいい影響を及ぼした。
入社から半年もすると春香は、新人でありながら企画をひとつ任されるようになったのだ。
◆
「企画が好評なのは、光司が私にいろいろ教えてくれたからだよ。ありがとう」
ウィークデイの午後11時。仕事帰りに待ち合わせしたいつもの恵比寿のバーで、光司の肩にもたれかかりながら、春香はトロンとした表情でつぶやいた。
「僕はなにもしていないよ」
「ううん。私を成長させてくれているのは、紛れもなく光司だもん」
ウォッカベースのマティーニを手に、春香は「東京の女性」として生きている自分に酔いしれる。
クールでドライな口当たりはまるで、隣にいる光司のようだ…と、そんな柄にもない形容が浮かび、それが妙におかしくて、静かに顔をほころばせた。
「どうしたの?」
「なんでもないよ」
春香がそう言うと、光司は不意打ちで手元にあるカメラのシャッターを押した。
「かわいい」
「暗いから、写っていないんじゃない?」
「大丈夫、ここには焼き付いているから」
瞳を指さす彼の仕草に照れながら、春香は光司と魂で通じ合えている自分を、何よりも誇りに感じた。
しかし…。
心から信奉していた光司の美しい世界が、すべてまやかしだと気づいたのは──
それからほんの少しだけ、後のことだった。
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光司を溺愛し、崇拝する春香。しかし、春香は光司のある姿を目撃してしまう…。
この記事へのコメント
もっと極端な、3Hとかどう?
ホームレス
反社
ホスト
料理は女がやる事だからとか思ってる男よりよっぽどいいじゃない。
食に何のこだわりもなくパックの白米とレトルトカレ食べる独女の方が嫌。
どうか、職業差別要素の濃いストーリーになりませんように。そもそもこの田舎娘が東京出身の彼をを色眼鏡で見て崇拝し、彼の本性に気づかなかっただけ。