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7時間前。
私は高校時代からの友人である香澄と、恵比寿西口にあるイタリアンレストランにいた。
「ねぇ、未来。彼氏も近くにいるみたいなんだけど、呼んでもいい?」
― えっ…今日は女ふたりでとことん飲むんじゃないの?
香澄に新しい彼氏ができたのは3ヶ月前。彼はフリーでWebデザインの仕事をしていて、年齢は私たちと同じ29歳らしい。
忙しくてなかなか会えないけど大好きなの、と香澄から聞かされていたのだが、まさか対面することになるとは…。
香澄は、悪気ない様子で、スマホを見ながらニコニコしている。
「構わないけど…私が人見知りなの、知ってるよね?」
「大丈夫、大丈夫。彼すごく社交的で楽しい人だから、きっと未来も気に入るよ」
― なにそれ、どんな自信よ。
香澄は天然でマイペースなところがあり、たまにイライラすることがある。
それでも、友達をやめないのは、香澄といると安心するからだ。
私は大手飲料水メーカーで働いているが、香澄は商社の子会社勤務。
それに彼女は、愛嬌こそあるものの、特別顔が可愛いわけでもない。家がお金持ちだとか、料理が上手だとか、ファッションセンスがいいとかでもない。
つまり、香澄は、ごくごくフツーの平均的な女なのだ。
私は、彼女と一緒にいると、自分を卑下したりしなくて済むし、何なら自分に自信を持てるし、漠然とした焦燥感に駆られずに済む。
だから、時々距離を取ったりしながらも、彼女とは付かず離れずの関係が続いている。
「あ、来た!」
香澄はそう言って、店の入り口に体を向けた。
私は目線だけ、同じ方向へ移動させる。
― うそでしょ……。ヒロキ!?
いきなり、世界がスローモーションになった。
自分の心臓の音だけがトクトクと聞こえ、手のひらが急に汗ばんでくる。
「どうも、おじゃましてすみません〜」
「…いえ」
私は、香澄の彼氏の目を見ることなく答えた。
「未来、こちらヒロキくん。私の彼氏…って、口にすると恥ずかしいね」
「なんで恥ずかしがるんだよ、急に呼ばれて緊張してるのはこっちなのに」
「だってぇ〜」
ふたりの会話が、全く頭に入ってこない。私は、なんとかバッグを持って立ち上がった。
「ちょっと、メイク直してくるね」
私は、化粧室に行くために席をはずした。
鏡の前で呼吸を整えながら、ポーチからリップを取り出し丁寧に唇に塗る。
もう会うことはないと思っていた男と遭遇すると、人はこんなに動揺してしまうものなのだろうか。
先月、29歳になった私。世間的にも、立派な大人なはずなのに、中身は全然大人じゃない。
最後にもう一度鏡の前で自分の顔を確認し、意を決して席に戻ろうと思ったその時、スマホが小刻みに震えた。
― あっ、ヒロキから?
この記事へのコメント
未来も自分は大手で働いてるが香澄は子会社勤務だとか全て平凡だから一緒にいると安心するとか、酷い😂
このタイトル、未来のことなのか。 未来は都合のいい女止まりで香澄はとりあえずの彼女という感じ。両者ともヒロキの本命ではないと思うしこんな不誠実な男と付き合いたくないけど!笑