漫画家・渋谷直角による書き下ろしエッセイ「古着女子。祐天寺の深夜3時。」

暖奈との再会。お互いを知る、ふたりの時間


それだけの話だと思っていたのだが、暖奈と偶然の再会をしたのはその1週間後だった。

目黒通りにある『スカーレット』という店。80年代のわたせせいぞうの漫画『ハートカクテル』に出てくるような、当時はスタイリッシュだったであろう外観がそのまま残っている。

グリーンのストライプに英字で「SCARLET」というロゴが描かれた軒先テントも、注目して見ればかわいらしいデザイン。


ただ、店先には「レストラン」と書かれているけれども、実際はレトロな風情のカラオケスナックである。

この店を貸し切って、知り合いのアーティストが誕生日パーティーをやるというので顔を出したのだ。そこに暖奈も遊びにきていた。

お互いが存在に気づいてしばらく見つめ合った後、暖奈の方からこの間、話しましたよね、と駆け寄ってきてくれた。

うん、そのカバーオールのことを、と返すと、暖奈は恥ずかしそうに、そうだ、こないだもこれ着てたんだ、と苦笑いをした。

暖奈はこの店を貸し切りにしたアーティストとは直接面識がなく、友人に誘われて一緒に来たのだという。

その友人は知り合いが多く、方々に挨拶しにいくものだから、ひとり手持ち無沙汰になっていたようだ。だから僕の隣に座り、また話してもいいですか、知り合いいなくて、と言った。

今度は古着の話ではなく、彼女のことを聞く。下北沢の古着屋で働いていること。家は下馬の方で、実家暮らし。職場へは自転車で通勤していること。家にはパグがいて溺愛していること。

祐天寺の話にもなる。『Break Beats』という名前のラーメン店が美味しいこと。『SEIN』というアンティークショップで買った北欧の古いスタンドライトが気に入っていること。東横線のダイヤが変わって、電車の祐天寺通過が増えたのが軽くストレスだということ。

暖奈はよく喋る。話のキモの部分になると目を大きくして僕を見つめてくるのがかわいい。が、少し緊張してしまう。

暖奈に僕のことも聞かれたが、雑誌関係の仕事、編集者じゃない、とだけ答えて、詳しくは適当に濁した。

これは誰に対してもそんな感じにしている。漫画を描いている、なんて迂闊に答えたら、『ONE PIECE』だの『鬼滅の刃』だのの話をされてしまう。

それは僕とは何の関係もない世界の話で、聞くのも話すのもひたすら億劫でしかない。

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