
「ある日突然、カミさんが土地を買ってたんです…」峰 竜太が25年も神楽坂に住む理由とは?
潜水艦を思わせるインパクト大の外観は神楽坂の閑静な住宅街で存在感を放っており、過去には『ニューヨークタイムズ』紙がわざわざ取材にやって来たという。
ところで、峰さん自身は、もともと神楽坂にさほどの思い入れがあったわけではないらしい。
「長野県出身なので、東京のどこそこではなく、東京での生活そのものに憧れていました。もちろん、神楽坂に住むようになってからいいお店とたくさん出合いました。
松井秀喜さんが巨人時代に通ったことでも知られる居酒屋の『もー吉』とか。山形の郷土料理を出してくれて、番組でお世話になった方々と1杯やるにはちょうどいい場所でした。
ただ、神楽坂の奥の深さを理解するようになったのは、もう少し後の段階」
それは神楽坂の住人になってから約2年が経過したタイミングだった。
デビューから24年間所属した石原プロを離れ、個人事務所を立ち上げた2000年の頃。
「当たり前ですけど、ぜんぶ自分たちでやり繰りしなくてはならなくなったんです。売り込みも何もかも。
接待の回数も増え、神楽坂の料亭によくお世話になりました。中でも『千月』。芸者衆とも顔なじみになって、仲良くなって。
そうそう。これはうちのカミさんだからやれたのかもしれませんが、たとえば節分の時期には、十数人のお姐さんたちに協力してもらって、僕がお世話になっていたテレビ局で豆まきをしたんです。
彼女たちは皆、日本髪を結って、黒留袖を着て、それはそれは華やかで。とっても喜ばれましたよ。要は人をもてなそうという心意気が並大抵のものじゃないんですね。
今は時代の流れで料亭の数も減ってしまって、花柳界の活気も失われつつありますが、受け継がれてきた精神は神楽坂に暖簾や看板を掲げるあちこちの商店から、今なお感じ取ることができますよ」
「粋なお付き合いができるお店が多い。街をつくるのはやっぱり人ですね」
そう言うと、峰さんはひとつの例として“志満金”の名前を挙げた。夏目漱石や泉 鏡花の小説にも登場する、明治2年創業の鰻と割烹料理の老舗である。
峰さんはもっぱら差し入れをするときには、贅沢にもこの店の鰻重を調達するそうだが、聞けば無茶振りとも思える急なお願いにも誠実に対応してくれるらしい。
番組のスタッフや共演者への差し入れに!
『かぐら坂 志満金』
神楽坂下の交差点からすぐの所にある創業150年の鰻の名店。代々継ぎ足す秘伝のタレを使った鰻重が名物。
峰さんが差し入れにしているのはテイクアウト用の「雅」。