拓実くんとは、出会ったその日に男女の仲になったものの、私たちの関係に名前はない。
雰囲気に流され、断れなかった私が悪いのだろうか。
そういえば、拓実くんと出会う前にも似たような経験をしたことがある。
気になる人と仲良くなれても正式な彼女にはなれない。かと言って、誘われて拒む勇気もない。
もう30歳なのに、最近の私の恋愛事情は、こんな具合だ。
「はぁ…」
私は深くため息をついてから、2人分の朝食を無理矢理食べ切った。
◆
翌週の土曜日。
私は、高校生の時からなんとなく通っている、大手のヘアサロンに来ていた。
なぜなら、今夜あたり拓実くんから連絡がありそうだから、少しでもかわいくしておきたいと思ったのだ。
「うわぁ、典型的な遊び人ですねその人、絶対他でも遊んでるよ」
「あはは。ですよねぇ。友達に忠告しときます〜」
へらへら笑いながら私はケープに腕を通す。
当時ただのスタイリストだった担当は、今やディレクターという肩書がついている。
「えっと…メンテナンスカットだけだっけ?カラーは?」
「あ〜、お任せします」
10年通っても敬語を崩せない私は、この人と深い話をしたことはない。拓実くんのことも“友達の話”として相談しているだけだ。
「じゃあ…春だし、ピンクベージュとかどう?」
「はい。それでお願いします」
そう答え、私は会話終了の合図のごとくスマホに目を移した。
「実は僕、今度地元の湘南でお店を出すんです。ちょっと遠いけど。よかったら」
帰り際、彼からショップカードをもらった。
― え?湘南…!?
私はお祝いの言葉よりも先に、戸惑ってしまった。今後は誰に髪を任せたらいいのだろう、と。
「そうなんですね、すごいなぁ。頑張ってください!」
私は嘘くさい笑顔を作り、エレベーターの閉ボタンをこっそり連打する。
扉が閉まり後ろを見ると、どこにでもいる“量産型女子”が鏡に映っていた。
159cmという平均的な身長に、今っぽくゆるめに巻かれた茶髪。
手元には、友達が持っているから真似して買った、ヴァレクストラのイジィデ。
今日のコーデだけでなく持ってる服は、ほとんどが、くすみカラーかモノトーン。
私は個性がないことがよくわかる、“THE マジョリティーガール”だ。
― こんな女、拓実くんが好きになるわけないか。
私は鏡から目を背け、外に出た。
この記事へのコメント
冒頭のこの部分はどうかと思ったけれど、読んだらなかなか面白かった。好きになり過ぎてしまうタイプでもあるのかな?だから言いたい事全く言えず言いなりになってしまう....😭