「郊外に住むサラリーマンなんて、興味なかった」都内在住のOL27歳が、茨城に嫁いだ理由

亜矢子さんは、小学校から一貫の女子校に通い、有名私大を卒業後、丸の内にある金融機関のバックオフィスに勤務。

外資系の会社ではあったが、アットホームな社風で仕事は楽しく、充実した社会人生活を送っていたと言う。

「フロントの人たちは激務ですが、私はバックオフィスだったので、プライベートもきちんと確保できましたし、お給料もそれなりにいただいて…。本当に楽しい社会人生活でした」

社会人3年目になり、代々木上原の実家から赤坂で一人暮らしを始め、東京生活はますます充実していった。

「そのときちょうど、ちょっとしたチーム異動があって…。そこで彼…智之と出会ったんです」

亜矢子さんの勤めていた会社はかなり大手のため、彼のことはほとんど知らなかったと言う。

「仕事ができて、話も面白い人でした。当時私が26歳、彼が33歳だったかな。短期間のプロジェクトだったのですが、仕事帰りにたびたび飲むようになって、お付き合いを始めました」

だが2人で会うのは、もっぱら赤坂にある亜矢子さんの家だったと言う。

「離婚したてで、まだ奥さんの荷物があるから…ってなかなか家に呼んでくれなかったんです。それに彼の家は成城の方だと聞いていたので、通勤には少し不便で」

もちろん社内で2人の仲は秘密で、離婚したことは直属の上司にしか報告していない、と言っていたという。

「ちょっとおかしいなと思うことはあったのですが、プライベートの友人には“彼女”と紹介してくれていたんです」

そこまで言って、彼女は言葉を詰まらせた。

「付き合い始めてちょうど1年になるくらいの時でしょうか。彼と同じチームの同期とたまたま飲む機会があって、そのとき『智之さんの家、今度赤ちゃん生まれるんだって!』と聞かされたんです」

驚いた亜矢子さんは、もちろんすぐ彼に問い詰めた。すると彼はこう言ったという。

「『離婚を考えていたのは本当だ。ただ、時間がかかってしまっていて…』と言い始めたんです。もちろんそれ以来、彼を信じることはできませんでした」

その後すぐに別れたものの、亜矢子さんはひどく落ち込んだ。何とか仕事はこなせるものの、食欲はなくなり、睡眠不足に悩まされる日々。

あまりのショックでやせ細っていく娘を心配し、母親が彼女を代々木上原の実家に連れ戻した。そのときちょうど、亜矢子さんは27歳。

「私、ずっと女子校育ちだったし、男性ときちんと付き合った経験もほとんどなくて…。見抜けなかった自分が本当にバカだったと思います」

実家に帰り精神状態はどうにか回復したが、酷い男性不振に陥った。

酷い男性不振に陥った彼女が選んだ相手は・・・


「両親にも迷惑をかけたし、結婚自体はしたかったのですが、どんな男性とデートしても『奥さんがいるんじゃないか』『彼女がいるんじゃないか』と考えてしまって…」

そんな娘を心配した父親が、いくつか縁談を持ってきたという。

「絶対独身だという確証が持てる男性に出会うには、入会に独身証明書が必要な結婚相談所か、お見合いですよね。そのときちょうど結婚相談所に入ろうかなと思っていたのですが…」

父親が見せてくれた当時のご主人の写真を見て、亜矢子さんは直感で「いいな」と思ったらしい。

「職場で見る男性とは180度違う、嘘のない、誠実さが滲み出ていたんです。朴訥な雰囲気ではありましたが、当時の私には救世主に見えました。まさか自分が、地方在住のサラリーマンと結婚するなんて、思ってもいませんでしたが…」

その後、筑波にある老舗ホテルで2人はお見合いをし、とんとん拍子に結婚が決まった。

ちなみにご主人は、大手メーカーの研究機関勤務。地元は守谷で、かつその研究所が筑波にあるため、住むところは守谷がいいと言われたという。

「主人の実家は守谷で、辺りに結構な広さの土地を持っているんです。義父がいくつかアパートやマンションを経営してるのですが、何年か前に“住みやすい街ナンバーワン”と取り上げられたこともあり、人気はあるみたいですね」

こうして守谷へ移り住むことが決まったというが、東京から離れることに抵抗はなかったのだろうか?

「そのときはまだ完全に傷が癒えていなくて、東京から離れたいという思いの方が強かったですね。あとは、主人の地元愛があまりにも強かったというのもあって…」

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