東京のアッパー層を知り尽くし、その秘密を握る男がいる。
その男とは…大企業の重役でも、財界の重鎮でもなく、彼らの一番近くにいる『お抱え運転手』である。
時に日本を動かす密談さえ行われる「黒塗りの高級車」は、ただの「移動手段」ではない。それゆえ、上流階級のパーティではいつも、こんな会話が交わされる。
「いい運転手を知らないか?」
一見、自らの意思などなく雇い主に望まれるまま、ただ黙々と目的地へ向かっているように見える運転手が。
もしも…雇い主とその家族の運命を動かし、人生を狂わせるために近づいているのだとしたら?
これは、上流階級の光と闇を知り尽くし支配する、得体の知れない運転手の物語。
ようこそ…黒塗りの扉の、その奥の…闇の世界へ。
自らの手腕で成り上がった男・環利一(たまき・としかず)。環が、ある噂を聞いて新たに雇った運転手・鈴木明(すずき・あきら)の初出勤日。鈴木が環の自宅へ行くと環の妻・聡美が出迎えるが、鈴木を見た途端に彼女は倒れてしまうのだった。
「…聡美ちゃん?」
朝帰りで自宅に戻った環利一は、誰もいないリビングで妻の名を呼んだ。
―運転手は来てないのか?
午前10時30分。
体が丈夫ではない妻が、この時間に起きていないことはよくあるが、運転手との約束の時間からはもう30分過ぎている。
人の気配を探して、妻のベッドルームに向かう。中は静かだが、少しだけドアが開いていた。
ノックをしようとした手が、室内に妻以外の人の気配を感じて止まる。
ベッドの横に跪くように、眼鏡をかけたスーツの男がいる。そして、その男の手が、ベッドに横たわる妻の手を握っているのが見えた。
ーベッドルームに男がいて、その男が聡美の手を握っている。......