出世競争にもがき苦しむ32歳のメガバンカー。そんな男を救った 、現代妻の“内助の功”
総一郎は、雅人の一つ下の後輩だ。
京都大学出身で風変わりなところがあるが、かなりの切れ者である。普段は淡々としていてクールなタイプだが、上司にお伺いをたてるときは、陽気な部下を装う。
上司に取りいることを嫌う理屈っぽい雅人とは、正反対のタイプだ。
その総一郎が、このたび突然ニューヨーク支店に異動になった同僚の大型案件をまるまる引き継ぐという。これは部内でもかなり戦略的な案件で、上から信用されている証だ。
―なんで・・・。なんで、俺じゃなかったんだ??
これは、主任である雅人が引き継ぐのが妥当と思える大きな案件だった。
「総一郎さんって、岸田課長とかなり仲いいですもんね。この前、八重洲側で二人が飲んでるの、見ちゃったんですよ」
後輩は周りを見ながら、そう囁く。
総一郎は、雅人の上司でもある課長の岸田と仲が良い。学歴なんて関係ないという世の風潮の中、銀行ではまだ学閥が存在していた。岸田も総一郎も、京都大学出身なのだ。
ショックは大きかったが、あくまで噂だ。色々な憶測を振り切るかのように、雅人はこれまで以上に仕事に精を出した。
それから一週間後の今日。定例の月曜ミーティングで、岸田から正式発表があった。
「この案件については、彼に任せることにしたから、皆サポートよろしく」
総一郎はその場で立ちあがり、皆に向かって深々と一礼する。
シンプルだけど有無を言わせない、岸田の言葉。あの噂は本当だったのだと、雅人はショックを隠しきれなかった。
しかしそんなときでも、仕事は終わらない。連日のデスクワークで肩こりが酷く、体が悲鳴を上げている。12月に入ると、忘年会などの飲み会も多いので、早めにこの疲れをとりたかった。
―今日はもう、いいだろう・・・。
ショックと疲れで参っていた雅人は、いつもより早く帰ることにした。
◆
「お帰りなさい」
帰宅すると、妻の彩がにこやかに出迎えてくれた。家に帰るとすぐ入浴し、簡単な夜食をとるのが雅人の習慣だ。
「・・・」
今日はいつもより疲労が激しかったため、妻の言葉にロクに反応できない。
「遅くまで大変ね。あ、お風呂入る前にちょっと待って」
雅人が浴室へ向かおうとすると、彩からオレンジ色の入浴剤を渡された。
「これ、入れてみて」
彩はいたずらっ子のような笑みを浮かべ、キッチンへ戻る。
雅人は浴室に入りシャワーを浴びながら、彩に渡された入浴剤を湯船に入れた。すると中から泡が立ち、同時に柑橘の甘い香りがふわりとして、心地よい気分に包まれる。
明らかに生気を失っているだろう雅人に対し、彩は何も聞いてこなかった。普段通り、淡々と接してくれる。
彩は本来自分の意見をはっきり言うタイプだが、結婚してから度重なる喧嘩を経て、お互い「察する」ことを学んだ。
どうにもならない問題に対して意見されても患いごとが一つ増えるだけなので、妻の気遣いはありがたい。
しかし・・・。明日から総一郎に、どんな顔をすればいいのだろうか。
湯船につかりながら、雅人は改めて考えた。