「麻里ちゃん、最近元気ないけど何かあったの?」
振り向いた先にいたのは、麻里子が尊敬している先輩・泉だった。
泉は、麻里子が入社した当初OJT担当として、仕事のことはもちろん、電話の受け方、名刺交換のマナーまで、社会人としての基本を教えてくれた先輩だ。
34歳の泉は社内外での評価も高く、麻里子が理想としているような女性でもある。今日も、シンプルな白のTシャツをさらりと着こなしている。このリラックスした”こなれ感”が絶妙なのだ。
彼女には長年同棲しているパートナーがいるが、結婚するつもりはないらしい。それだけがいつも不思議であったが、あまり深く聞くのも憚られており詳しく聞いたことはない。
そんな彼女に、今の悩みをわかってもらえるのかと不安もあったが、思い切って打ち明けることにした。
「泉さん。実は、付き合ってる彼と早く結婚の話を進めたいんですけど、彼があんまり乗り気じゃなくて。あの人鈍感だから、30歳っていう区切りのことわかってくれないんですよ」
「30歳の区切り?」
「はい、そうです……」
34歳の泉を前に、なんとなく言い淀んでしまった。
「麻里ちゃんまさか、30歳になるのが不安なの?」
白い歯を見せて、眩しいほどの笑顔を向けてくる泉に、麻里子は無言でこくりと頷く。
「まあ、気持ちはわからなくもないけど。じゃあさ、麻里ちゃんは30歳っていうのを特別な年齢って思ってるみたいだけど、そもそも年齢ってなんだと思う?」
泉から、禅問答のような質問を投げられてしまった。
「えっと……。わかるんですよ。年齢なんてただの記号だってよく言われるし、私もそう思うようにしてるんです」
言いながら泉の顔をちらりと伺うと、彼女はやはり眩しいくらいの微笑を浮かべている。
その微笑にほっとしながら、最近抱えているモヤモヤを吐きだすように言葉を続けた。
「でも、いざ30歳を目前にすると、なんとも言えない不安に襲われるようになったんです。人生の可能性は狭まるのに、責任だけが大きくなるっていうか。何か大切なものを失ってしまうような、そんな感じです」
泉は無言で何度も頷いた。
「泉さん、30歳を過ぎて、実際どうですか?」
失礼かもしれないと思いながら、思い切って聞いてみた。すると、泉は「ふふっ」と、不敵ともいえる笑みを浮かべて、ゆっくり口を開いた。