「おもちゃの貸し借りじゃないんだから」と、またも呆れたルビーが今日は随分大人びて見える。
「その日から猛攻撃が始まりました。“紗和子さんが譲ってくれる気がないなら、正々堂々と奪い取るね”と。奏に対しても…好きだ、愛してる、私の方が絶対奏さんを幸せにできるよ、と無邪気に、所かまわず訴える。そうなるともう一緒に暮らせないので、麻莉奈に別の部屋を借りて、ハウスキーパーを雇い、家から出したんですけど。
ただ…アトリエだけは今までどおりに使うことを許しました。大きな仕事の締め切りも迫ってましたし、1つの作品の制作場所が途中で変わると彼女は描けなくなるんです。麻莉奈の手が止まると私も困る。だから麻莉奈がアトリエにこもる時には、奏には外出してもらうことにして。でも麻莉奈は――性にも奔放なタイプだったので…」
「まさか寝取られ!?」と食い気味に叫んだルビーに、どうなんでしょうね、と紗和子は空を見上げた。かすかな雨音。天窓に水滴が増えてゆく。
「私は恋愛にだけはとても疎い自覚があります。だから奏の心がいつ麻莉奈に移り始めたのか、いつから私を騙していたのか、正確な時期は今でも分かりません。でも押しに弱く、情にほだされやすい人ではありましたから」
紗和子は携帯画面を触ると、カウンターの上に写真を出した。
「…これは、スクショですか?」
ともみの質問は遠慮を帯びた。紗和子が頷く。
「私が2人の裏切りを知ることになった写真です。丁度1年ほど前、麻莉奈が自分のSNSに夜中に上げたらしいのですが、すぐに削除されたみたいで。私は見ていなかったのですが、私のアシスタントが、憤慨して報告してきました。
慌ててスクショしたのですが、紗和子さんはご存じのことなんですか、と」
それは麻莉奈と奏が笑顔でキスをしている写真だった。奏の顔はピントがあっておらずぼやけていたものの、見る人がみればすぐに紗和子の婚約者だと分かっただろう。さらに写真にのせられていたテキストは。
『真実の愛は必ず実る。出会うのが遅かったなんて信じない。愛し愛される、私の運命の人。永遠のインスピレーション』
英語で書かれたその文字を、紗和子の朝顔がひっかくように撫ぜた。よく見ればほんの少しだけ、その爪先が欠けてしまっている。
「おそらく、奏がすぐに気づいて削除したようですが、麻莉奈のプライベートアカウントで鍵付きだったとはいえ、私の仕事関係の友人たちとはつながっていましたから。あっという間に業界内には広まり、私は、婚約者を奪われた可哀そうな女、になったわけです」
ともみは違和感をぶつけてみた。
「麻莉奈さんは、紗和子さんの前でもアピールするような真っすぐな人なんですよね?なのになぜわざわざ、そんな回りくどい方法を選んだんでしょう?」
ふふ、と今日初めて紗和子は声に出して笑った。
「後から分かったことなんですが、その時は既に麻莉奈に気持ちを移していた奏が、私には自分から話すからと麻莉奈を待たせていた。麻莉奈も彼女なりに我慢していたらしいんですが、でもあの夜、2人は口論になり、麻莉奈が爆発して…投稿してしまったみたいですね」
「それって立派な嫌がらせだし、全然無邪気じゃなくない?その子」
ルビーの言うことはもっともだと、ともみも頷いたが、いえ、と紗和子は否定した。
「麻莉奈の無邪気は本物で…無邪気だからこそ怖いんですよ。麻莉奈は奏を奪った今でも、私のことが大好きで、自分の恩人だと言い続けています。そこにウソはない。ただ、恩人の婚約者を愛してしまっただけ。その衝動に従うだけ。一般社会では許されないはずの、その“だけ”に忠実な“だけ”なんです。
SNSのスクショが出回り、略奪愛の主人公になってからも、麻莉奈は驚くほどバッシングを受けませんでした。あの才能なら常識から外れていても当然。むしろだからこそ、彼女は怪物級のアーティストなのだと。
元々恋愛や性を奔放に語り、それを作品に投影するスタイルでしたし、道ならぬ恋をした麻莉奈のこれからの作品が楽しみだと、ファンたちは盛り上がり、ラグジュアリーブランドとの契約も切れることはありませんでした。
そして噂のターゲットは私に変わり、自分が育てたアーティストに結婚間際の婚約者を奪われたかわいそうな女だと同情され、アート界の実力者も、若くてかわいい天才には敵わないんだと、誇るべき私の50歳という年齢を揶揄され始めた。
恋愛の負けごときでと思われるかもしれませんが、アート界は新鮮さを好むし、噂にも弱い。清川紗和子の感性が古くなったのでは、彼女の時代は終わったのではという噂を放っておけばビジネスにも影響します。そんなことは絶対に許さない。私自身の価値を揺るがすものとは徹底的に闘う。だから…」
徐々に低くなる紗和子の声が、全てを凍らせ叫び声さえ奪う氷の地獄を再び連想させた。
「先手を打つためにも復讐するのです。まずは麻莉奈の…どこまでも飛んでいける才能という翼をもぎ取らせてもらう。そのために一番有効な方法は――何だと思いますか?」
分からないと首を振ったともみに、紗和子の眼差しが鋭くなった。
「麻莉奈の作品を、平凡でありきたりな量産品として埋没させる。天才は、平凡という烙印を押されることを何より嫌い、絶望するものですから」
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