西麻布のデザイナーズビルの地下にあるここ『ハンプルThe wave』は、まるで梨泰院あたりにある本場の最先端レストランみたいだ。
K-POPで満たされる吹き抜けの空間。コンクリートのスタイリッシュな内装にネオンの装飾。
最新の韓国ドラマの舞台になりそうな雰囲気のなか新感覚の韓国料理が楽しめるこの店は、どうやら向井さんのチョイスらしい。
― あいかわらず、向井さんってお店のセンスいいんだよなぁ。
と、4杯目のビールを注文するついでに、隣のテーブルに座っている向井さんをこっそり盗み見る。
あの夜。ハリーが私に「拜拜(バイバイ)」と言ったあの夜。
まさか向井さんから電話がかかって来るなんて思わなかった。
それにそのあと、あんなふうに会うことになるなんて…。
「はい、ビールお待たせいたしまたぁ」
4杯目のビールはあっという間に提供されて、まだメインの鍋も始まっていないというのに、私はじゃがいもとチーズのチヂミ・カムジャジョンをつまみに来たばかりのビールで喉を潤す。
同僚と会話しながら、すでにほのかに酔いが回り始めた頭で思い出すのは、3週間前のクリスマス前。向井さんから電話がかかってきた夜に起きたことなのだった。
◆
ありありと思い出すのは、3週間前の夜のことだ。
「なにこの店〜!双葉。こんないいところ知ってるなら、早く教えろよな」
「はぁ…なんなんですか。ここ、24時閉店ですよ。もう飲み物もラストオーダーなんで、飲むなら早いところ頼んじゃってください」
「んじゃ、俺も同じ白ワイン」
渋谷の『テンキ』で深夜の天ぷらを堪能していた時、向井さんからかかって来た電話。その電話に恐る恐る出たところ、
「今渋谷なの?じゃちょっとそこ顔出すわ、店送って」
向井さんはそう言うなり、5分も経たずに本当にこの場にやって来たのだ。
「カンパーイ」
呑気にグラスを合わせてくる向井さんを受け流しながら、私は内心、どぎまぎと慌てふためいていた。
いつか向井さんと一緒に来たいと思っていた店に、思いがけずふたりでいる。
だけどもちろん、手放しで喜ぶことなんてできない。
私の心は、ずっと側にいてくれていたハリーを失ったばかりでグチャグチャだし、なによりも、向井さんは早紀と結婚している。
「で、なんなんですか?こんな夜中に電話くださったり、わざわざここまで来たり…。何か折り入ってのお話があるんですよね?」
どれだけ待っても心は落ち着きそうにない私は、とっとと本題を終わらせてしまおうとこちらから向井さんに問いかける。
だけど、その質問に対して向井さんが返してきた言葉に、私の心はさらにざわめいてしまうのだった。
「いや、実はさ…」
「実は?」
「最近、早紀とうまくいってないんだよね」
「…え…?」
「早紀から聞いてない?双葉、早紀と仲良いよね」
「はい、仲は良いですけど…。別にそんな、向井さんとの仲なんて…」
まさか、早紀と向井さんが?そうだとしても、なんでそれを私に?
もしかして、私がずっと向井さんのことを好きだったってこと、わかったうえで…?
ただでさえハリーのことで混乱していたというのに。
私は1人でも平気。恋なんていらない、自立したカッコイイ女。それが私。
ついさっきまでそんなふうに納得しかけていたというのに。
そこに向井さんから面と向かってこんなことを打ち明けられてしまっては、もはやどうしたらいいのかわからない。
混乱と動揺とで、私はグラスに口をつけて無言に徹した。
けれど、冷たい白を口に含みながら、しっかりと感じ取ったのだ。
混乱を極める頭とは裏腹に、心は冷たく沈み込む。
― これって、もし私のことを誘っているとしたら───
向井さんって、最低。
と。
私にとって向井さんは、好きだった人である前に、憧れの人だ。
いつでも全力で仕事をこなす人。
どんなピンチの時でも周囲を明るく照らす人。
尊敬できて、仕事にも人にも誠実で、ときどき昭和感のあるコンプラ違反気味な男臭さもあるけれど、だけどそれは“漢気”みたいなものにも言い換えられて…。
とにかく私にとっての向井さんは、そういう人なのだ。
間違っても、妻の友人と関係をもったりしない。そんな罪を犯す人ではないはずだった。
胸の奥のほうで頭をもたげた小さな失望は、すぐに大きな嫌悪感となって頭の方へと侵食を始める。混乱していた脳みそは冷たく冷えていき、私はいつのまにかすっかり冷静さを取り戻していた。
「向井さん、目覚ましてください」
そう冷たく言い放とうとした、その時。
向井さんが、覚悟を決めたような、それでいて恥ずかしそうな眼差しで、私に向き直る。
そして、おずおずと言ったのだ。
「俺、本当に早紀にひどいことしちゃって。
クリスマスには絶対に、絶対に仲直りしたいんだけど…あいつの好きなケーキとか、喜ぶこととか、双葉からアドバイスもらえないかな!?」







この記事へのコメント