慌てて電話を切った理由は別に、ふたりよりも夫を──六郎さんを優先したかったからというわけじゃない。
六郎さんにはなんとなく、双葉と話しているところを見られたくなかったから。
だけど、時すでに遅し、だったらしい。
六郎さんは私が座っていたダイニングチェアにのそのそと近づいてくると、隣にどっかりと座り込みながら、大きく首を鳴らして言った。
「今のって、双葉だよね?」
「…うん。双葉と、市子ちゃん。今ふたりで一緒に飲んでるみたい」
「そっか。あいつヘトヘトで帰ったと思ったけど、飲みにいく元気あったんだな。
いやぁ、最近の双葉はすごいよ。ページ差し替えのトラブルも完璧にこなしてて、すっかり一人前の編集者ってところだな」
「ふーん、そうなんだ」
六郎さんは私の同期の中でも、昔から特に双葉に目をかけている。
こうして双葉を褒めるところを目にするのは、入社してすぐに付き合い始めた頃から、一体何度目になるだろう。
― あーあ。わざわざ電話切ったのに、やっぱりこの話になっちゃった。
なんとなく気分が落ち込んでしまった私は、まだ下げずじまいだった菜奈と私の夕食の片付けを始める。偏食の3歳児と専業主婦の夕食だ。シンプルなうどんで手抜きをしたため、洗い物は多くない。
けれど、私がキッチンに立ったのを見るなり、六郎さんはまた首を鳴らして言った。
「ね、山崎出してもらっていい?飯は付き合いで鮨行ってきたんだけど、仕事残ってたから飲めなくてさ。そんで、それ飲んだらもう寝るわ」
「はいはい、お疲れさま」
言われた通りにリーデルのロックグラスに氷と山崎12年を注いで提供すると、六郎さんはそれを、何かに急かされるようにすぐに飲んでしまう。
そして、「今日も菜奈には会えなかったな〜、編集業はつくづく家族サービスには向かない仕事だよ」とかなんとか言いながら、さっさとバスルームへ消えてしまうのだった。
彼なりに、毎日帰りが遅くなることにうしろめたさを感じているのかもしれない。
私だって3年前までは同じ会社にいたのだし、六郎さんの仕事ぶりをすぐそばで見ていたのだから、もちろん彼の忙しさは理解できているつもりだ。
だけど…。
カルチャー誌の編集長をしている六郎さんは、お鮨を食べて好きな時間まで仕事ができる。
一人前の編集者になった双葉は、市子ちゃんと自由な夜を過ごしている。
一方、いま私の手の中にあるのは、子どもが少し残したうどんのどんぶりと、夫がウイスキーを飲み終えたロックグラスだけだ。
一体どうしてこうなってしまったのだろう。私だって、本当は働きたい。
だけど、それを過去に六郎さんに伝えた時には、はっきりと反対されてしまったのだ。
「気持ちはわかるけど、菜奈が小さいうちは無理せず、そばにいてやってくれないかな…頼むよ」
手早く洗い物を済ませた私は、鬱屈とした気持ちを留めておくことができず、ダイニングテーブルの上に伏せたままにしておいたスマホを手に取る。
「家族の洗い物をするだけの私って、な、ん、な、ん、だろう…っと」
指先で行き場のない気持ちを書き捨てる先は、Threadsだ。
社会から隔絶されたような毎日を送っていると、SNSはちょうどいい息抜きになる。
アカウント名は本名の”向井早紀”とは全く関係のない文字の羅列で、いわゆる“裏アカ”というものなのかもしれない。
けれど、わざわざ人に連絡をするほどでもない小さな幸せや、思いついただけの冗談、そして…心に溜まりゆく澱は、ここに吐き出すことにしているのだ。
だってこうでもしないと、六郎さんに言ってしまいそうになるから。
「あなたはいいよね」
今のバランスを崩してしまうであろう、罪の言葉を。
◆
翌日、菜奈を幼稚園に送った後に私が足を運んだのは、清澄白河の東京都現代美術館だった。
勝どきの家から清澄白河までは、大江戸線でたったの3駅だ。
菜奈が赤ちゃんだったころは遠ざかっていた趣味の美術鑑賞も、幼稚園に通い出した今はそう難しくはなくなった。
こうして少し美術館を覗くだけでも、「外に出たい」「自分のための時間を楽しみたい」という想いは浄化される気がする。
― でも、そろそろお迎えに行かなきゃ。買い物もしなくちゃいけないし…。
そう思って慌ただしく美術館を後にし、駅に向かう道中。
ふと、鼻腔が甘くくすぐられた。
「この香り、もしかして…?」







この記事へのコメント
→約束すっぽかした挙句に、デリカシーのない事言うの?素直に謝れないのも含めて最悪😡