「あ〜早紀ちゃんまで!みんな冷たいよぉ」
コーラを片手にテーブルに突っ伏す市子を見て、私は渋々背中に手を回す。
今見てしまった向井さんの姿を、早く忘れたい。
そんな打算もあったのかもしれないけれど、とにかく私は「よしよし」と言いながら市子の背中をさすった。
昔から、市子はこうなのだ。2歳年下だからというだけでなく、どうにも放っておけないような雰囲気がある。
なんというか、心を全開にしてくれている様子が可愛らしいのだ。
読者モデル時代も、イベント会社で働き出してからも、なぜ世間相手には本当の自分ではなく、クールで大人なキャラを押し通そうとするのかわからない。
けれどまあ、ごく一部の心を許した相手にしか素を見せないというのが、このなんとも言えない可愛らしさに磨きをかけているのかもしれなかった。
「豪くんにフラれちゃったのはつらかったね。せっかく、ずっと好きだった人と付き合えたのにね」
けれど、先ほど目にした早紀と向井さんの姿が頭から消えない私は、つい市子を慰める言葉に私情を挟んでしまう。
「でもさ、市子。そんなに好きならちゃんと『まだ好き』って、伝え続けた方がいいよ。…間に合ううちにさ」
ほとんど無意識のうちにこぼれ出てしまった言葉に、自分自身でハッとする。
もう遅い夜だというのに、店内はほぼ満席の大盛況だ。活気のある雰囲気に今の言葉がかき消されてしまったことを少し期待したけれど、しっかり聞こえてしまっていたらしい。
市子は目を潤ませたまま、小さく不安げな声で尋ねてくるのだった。
「…はっきり言われたんだよ?『幸せになれない』って」
「でも、市子はまだ彼が──豪くんが好きなんでしょ?『私は別れたくない!』ってちゃんと言ったの?」
「言えないよ。そんなダサい姿、豪くんに見せられないよ」
「またそうやってカッコつけて。どうして?カッコつけてたって結局フラれちゃったんでしょ。これ以上どう思われたっていいじゃない」
「でも…」
「とにかく、好きなら好きって言うべきなんだよ」
― 私はずっと片思いして好きって言えないまま、彼は人のものになっちゃったから。
そう言いそうになった、その瞬間。
「お待たせしましたー!」
店員さんの元気な声とともに、先ほど注文した「ロマンス焼き」が運ばれてきた。
色鮮やかなネギと、香ばしく香るソースの香り。私も市子も思わず一瞬で心を奪われる。
ゴクリと飲み込んだ唾とともに、決定的な罪になりかねない言葉も飲み込むことができた私は、気を取り直して市子に言った。
「まあ…とにかく今は、美味しいもの食べて元気だそっか」
「…うん」
ふわふわとろとろとした食感のお好み焼きは、口に入れるなり濃い旨みの出汁の香りが広がる。
その優しくもパンチのある味わいは、23時すぎという時間もあいまってか、罪なほどに美味しい。
私と市子はしばらくの間、無言でただひたすらこの熱い旨みの塊に没頭しつづけるのだった。
人間というのは、本当に単純なものだと思う。
空腹な胃袋に温かい食べ物が入ると、否が応でも体が、心が温まり、幸せを感じてしまうようにできているらしい。
市子はまだグズグズと泣き言を言い続けていたけれど、その頬には少し赤みが差したように見える。
そして私もきっと、缶ビールだけの夜を過ごそうとしていたとは思えないほど、激しい食欲を覚えていた。
ちがう種類のビールとコーラ。それから、「カキとレンコンバター」といくつかのメニューを追加で注文し、私たちは深夜の美味と会話を楽しんだ。
「なんか、双葉ちゃんが応援してくれるなんて思わなかったな。恋なんていらない、自立したカッコイイ女!って思ってたから、1人でも強く美しく生きていくためのヒントをもらおうと思ってたのに」
「失礼な。私だって恋愛のひとつやふたつくらいします〜」
「えっ、今も恋してるの?」
「今は…好きな人はいないけど、アプリでマッチした男の子とたまにデートしてる…」
「えー!そんなこと、教えてくれたことないじゃん!ね、ね、どんな人なの?付き合おうって言われた?」
「付き合おうって向こうは言ってくるけど…でも、向こうからグイグイこられるのあんまり得意じゃないんだよね。それに、すごい年下だし」
「えー、何歳なの?」
「23歳。…あと、外国人」
「キャー!!ちょっと双葉ちゃんー!!」
普段なら話さないようなことまで明るく話してしまえるのは、深夜に美味しいものを食べる時の魔法なのだろうか?
きっと、お酒だったら泣いてしまう。ダメな恋愛話に引きずられて、涙の底に沈んでしまう。
それが、美味しいものを食べるとなると、こんなにも前向きになれるのが不思議だった。
― 市子がいつも幸せだといいな。それから…早紀も。
久しぶりに満ち足りた気持ちの夜を過ごしながら、私は思う。
この先、誰のことも好きになれなかったとしても──。
こんなふうに思える自分自身のことは、結構好きだなって。
▶前回:付き合って半年でフラレた女。未練がある女が、夜に足を運んだ場所とは
▶Next:12月1日 月曜更新予定
双葉が密かに好きだった向井と、授かり婚をした早紀。その孤独な生活







この記事へのコメント