「…え?」
「ほら、信号青だよっ。ご実家に着くのが遅れたら大変!」
「あ、うん」
― よかった。やっぱり、もう大丈夫なんだ。
ホッとした気持ちで、車を走らせる。だけど、どうしても確信が持てなかった俺は、念のためにもう一度萌香に尋ねた。
「あの…。明日、本当に莉乃とランチしてきてもいいの?萌香が嫌だったら行かないけど」
こわごわと尋ねる俺の顔を見て、萌香がおかしそうに笑う。
「うん、大丈夫だよ。私たちもう結婚するんだし、いつまでもヤキモチなんて妬いてられないもん。
お邪魔じゃなければ私も行きたかったけど、明日ヘアサロンに行くんだよね。莉乃さんにいっぱい、私たちの幸せ自慢してきて」
そう言うと萌香は、鼻歌でも歌い出しそうな様子で薬指のリングを陽の光にかざすのだった。
― やっぱり、ちゃんと安心させてあげられたら大丈夫なんだ。
今更ながら姉貴のアドバイスに感心した俺は、気分よく実家への道を飛ばした。
そして、密かに誓ったのだ。
萌香の言葉に甘えて、明日は莉乃に久しぶりに会う。
だけど───もう二度と、萌香を不安にさせてはいけない。
いつにも増して気を引き締めて、誤解を招くような行動は慎もう、と。
◆
というわけで俺は今、ジンジャエールを飲んでいる。
世間的には、男女は2人でお酒を飲まない方がいい。ランチでもあることだし、ノンアルコールでサクッと話をして帰ることを決めて、莉乃と約束をしておいた。
「話がある」と言ってお茶に誘ってきた莉乃だったけれど、やはり予想は当たっていたらしい。
「正輝、結婚おめでとう!これだけはどうしても会って言いたくて」
ジンジャエールを片手に莉乃が言ってくれたのは、純粋なお祝いの言葉だったのだ。
やっぱりな。と、心の中で納得する。
こういう妙に義理堅いところがお互いによく似ているから、莉乃と俺は男女を超えた親友になったのだから。
「それで、ホテルに頼んでバラのオプションを…」
「キャーーー!正輝がバラの花束!!」
「指輪は一緒に選びに行くものだと思ってたんだけど、萌香はパカッとされたい派だったから、寝てる間に指のサイズを測って…」
「うんうん、すごい。しかもハリーでしょ?正解、正解!」
「親父も母さんも食事の席でずっとソワソワしちゃって、変な敬語で…」
「ああ〜わかるなぁ。おじちゃまよりもおばちゃまの方が、意外と緊張しいなんだよね。おじちゃまはデレデレだったでしょ」
「昨日は姉貴が、自分もお腹大きいくせに萌香に一瞬も席を立たせなくて…」
「ねえ!今思ったんだけど、マリちゃんと萌香ちゃんって、ちょっと共通する感じあるよね?」
4ヶ月ぶりの話は尽きない。
萌香とのノロケや婚約の話だけにとどまらず、家族の話、会社の話、趣味や最近美味いと思ったレストランの話まで、莉乃にはどんな球を投げても思い通りの返事が返ってくるのが楽しかった。
だけど、さっきも思わずこぼしてしまった通り、30を過ぎるとどうしてこんなに時間がすぎるのが早いのだろう。
時刻は13時をすぎていて、ランチが始まってからすでに90分の時間が過ぎていた。人気のピザ店で席を占領するのも申し訳ないし、萌香のヘアサロンは多分もうすぐ終わるはずだ。
莉乃に久しぶりに会う日だからこそ、美容院の後は萌香と一緒にいてあげたい。そう思って、今日のランチはあらかじめ、13時までという約束になっているのだ。
「ああ、そろそろ時間だ。俺、行かないと」
「本当だ!確かに、時間過ぎるの早いわ」
「莉乃もおばあちゃんだな」
「同い年だからね。正輝がおじいちゃんなら、そうなるね」
あいかわらずのしょうもない軽口で笑い合う時間が、名残惜しかった。
莉乃のほうも、きっと同じ気持ちだったのかもしれない。じゃあね、と言いかけた莉乃はふと表情を曇らせ、意外なことを言い出したのだ。
「ごめん、正輝…。あと、5分だけいいかな」
「ああ、うん。もちろん。どうした?」
伝票を持ってすでに腰を浮かせていた俺は、莉乃が見せたこの場に不釣り合いな表情に少しの戸惑いを覚え、もう一度椅子に座り直す。
すると莉乃は、ゆっくりとカバンから1枚の封筒を取り出して、つぶやくのだった。
「実は今日正輝に来てもらったのは、この話をしたくて…」
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精一杯の萌香への配慮をしながら、久々の莉乃との再会を楽しんだ正輝。そんな正輝に莉乃が持ち出した話とは
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