なぜ自分が庇われているのかをミチが不思議に思っているうちに、警官たちは追い払われてしまった。
「それでお兄さん、うちのマンションにどういった御用かしら?」
優しい笑みで見上げられ、何と応えれば信用してもらえるだろうかと迷ったものの、ミチはただ正直に事実を伝えることにした。
「ここに住んでいるはずの女性に会いに来ました。急に連絡が途絶えたので心配になって」
「お電話とかメールとかはなさったのかしら?」
「連絡先は知らないんです」
事実ではあるが、連絡先を知らない人を訪ねて来た巨大な男など怪しさしかないだろうなと思いながら説明したミチを、老人は、黙ったまま見定めるように眺めていたが、しばらくして、よし、と続けた。
「私は、このマンションの管理人で、皆さんにはカオルと呼ばれています。あなたのお名前は?」
「鈴鹿(すずか)といいます」
夜の西麻布では使うことのない苗字を名乗ったのはいつぶりだろうか。ミチは警官に見せそこない握ったままだった免許証と、Sneetの名刺をカオルに手渡した。
「鈴鹿、道…これで、みち、って読むんだ。素敵なお名前ね。じゃ、ついておいでなさい」
「え?」
「そこで突っ立ってても、また通報されるだけでしょ?管理人室でお茶でも出してあげるわ」
そう言うと、足早に歩きだしたその小さな後ろ姿を追いかけながら、ミチは思わず、「いいんですか?」と問いかけた。
「何がですか?」
「オレが、ただのストーカーとかだったらどうするんですか?こんなに簡単に中に入れちゃったら」
「だから言ってるでしょう。私はあの若造ポリスたちと違って人を見る目があるの。あなたは絶対に良い人よ。何か困っている事情があるんでしょうよ。それに私にとってもメリットがあるもの」
「メリット?」
そう聞き返した時にはミチはすでに、まるで少女の部屋のように繊細なレースやぬいぐるみで飾られた、4畳ほどの管理人室に迎え入れられてしまっていた。
「メリットでしょうよ。こんなに素敵な殿方とお茶ができる機会なんて、そうそうないもの~。お気に入りの中国茶を入れるから、ほら、座ってちょうだい」
— この人も中国茶を好むのか。
そう言ってポットからお湯を注ぎ始めたカオルに光江の気配を感じながら、カオルとテーブルをはさんで向かい合うと、茶器に注がれたお茶を勧められるままに口に含んだミチは、これは黒レンガ茶だろうと思った。
黒茶と呼ばれる黒い茶葉をレンガ状に固め、数年発酵させて楽しむこともできる高級茶だが、これはおそらく発酵が進んだものだ。
熟成香と共に、ほんのりと古木の香りがたつが渋みは少なく甘みが舌の上で転がる。胃に優しく、油っぽい食事とも相性がいいのだと、光江が好む茶葉の1つでもあった。
「あなたの茶器の持ち方も、飲み方もキレイね。バーテンダーさんだからかしら」
茶の美味にうっかり和んでしまっていたミチに、カオルがうっとりと微笑んだ。
「それで…あなたが会いに来た方のお名前は?ここに住んでることは確かなのよね?」
光江の調べが間違っていたことはない。ミチは自信をもって頷いた。
「柏崎メグです」
「あら、メグなの?」
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