「すみません、メグのこと…調べていただいたんですよね」
光江の前にジントニックを置くと、その対面に座ったミチに、光江は何も言わずに大判の茶封筒を手渡した。
中には、雑誌記事のコピーが数枚。取り出して読み始めたミチに、光江が言った。
「あの子が…メグが書いた記事だよ」
記事のタイトルは、『リリア10歳。新しい人生の始まり』。一番大きな写真には白い歯を見せて弾けるように笑う、瞳がこぼれそうに大きな黒人の女の子が映っていた。
顔を上げずに記事を読み進めるミチに構わず、光江は話し続けた。
「アンタも少しは調べてたみたいだし、その記事も読んだかもしれないけど、メグは3年前から、発展途上国の教育支援をしている《Future School project》っていうNGO団体を取材していた」
そのことはミチも検索して知っていた。アフリカには、女に生まれると幼い頃から労働力とみなされ、学校に行かせてもらえていない地域がある。そんな地域に女児も通える学校を作るというプロジェクトを起こし、取り仕切っているのがそのNGO団体だということも。
「その写真の子どもが…その、リリアって子が行方不明になったらしい」
影を帯びた言葉に、ミチが顔を上げる。
「行方不明って…」
「なぜいなくなったのかも不明だし、生死もはっきりしてない。軍やら警察も捜査してるとは言ってるみたいだけど、まあどれくらいちゃんと機能してるものなのか、怪しいものだね。内戦が続いてる上に、政治の腐敗もひどいみたいだから。酷い話だけど、10歳の女の子を本気で探すとは思えない」
ミチはもう一度、リリアの写真に目を落とした。リリアは…メグが1ヶ月以上を共に過ごした少女だ。
光江に渡された、メグが書いた記事の中には、ミチの検索では見つけらなかった記事もあった。その記事によると、9人兄弟の真ん中に生まれたリリアは賢い子どもで、男兄弟の教科書をこっそりと読み続けることで、独学で文字を覚え、自分も学校で勉強がしたいと母親に訴え続けていたという。
そんな時、リリアの母が取材に来ていたメグに出会った。母から相談を受けたメグが、“女子に教育などいらない”と頑なだった父親を説得した。そうして学校に通えることになったリリアの喜びが、記事のどの写真にも表れていた。
『私はもっともっと勉強して、いつかこの村でお医者さんか先生になりたいんです。でも、記者さんみたいに、世界を飛び回るお仕事もしてみたいな』
そう語り、カメラに向けられた笑顔から、写真を撮っているメグのことを、リリアはどれだけ信用していたかがわかるようだった。
小さな木造の小屋に置かれた机に並び、誇らしげに授業を受けているリリアや他の女児たちを見守るメグの笑顔が想像できるようで、ミチの胸にざらっとした痛みが走る。
「内戦地域にどうやって学校ができていくのか、どんな困難が起きるものなのか、メグは取材を連載してたし、自分のアカウントで動画も発信してたから、このNGOの活動は話題になってね」
ジャーナリストとして世界的に有名になったメグには、確か20万人近いフォロワーがいたはずだと、ミチはぼんやりと思い出した。
「学校には、イギリスのドキュメンタリー番組の取材も入った。それが世界配信されたものだから、各国からの寄付が定期的に集まるようになって、“女児が通える学校”はうまく行き始めた…ように見えてた」
「見えてた?」
「最後の2枚、見てみな」
光江に促され、10枚程重なっていた記事のコピーの中から、その2枚を取り出して読み始めた瞬間、ミチの眉が寄る。
「寄付金の横領…?」
学校を作っていたNGO団体が寄付金を横領していたことがすっぱ抜かれていた。記事を書いたのは——メグだった。
「メグもずっと騙されていたんだよ。で、彼女なりに正義を貫いたんだろう。自分が共感して報道していたNGO団体の活動が、実は汚職の隠れ蓑だったってことに気づいて、謝罪の意味を込めて、自ら調べ上げて書き、訴えた。幕引きをするつもりでね」
記事を握るミチの手に力が入る。
記事によれば、リリアが通う学校が有名になったことで、NGO団体の《Future School project》には、世界中から、予想を超えた寄付金が集まってくるようになったという。
その寄付金を基に、周辺地域にも10校以上の学校、そしていくつもの医療機関が設立されたと発表されていたが…実際には、学校や医療機関の設立や運営には、寄付金のわずか20%ほどしかまわされていなかったのだ。
他の金はNGO団体のトップ数名の懐に入り、彼らの私利私欲、贅沢のために消え。その国の政治家や軍の幹部、そして村の長への賄賂としても使われていたことが発覚した。
『ジャーナリストとしての私の過ちを、償います』
と、メグは、自分が結果的に横領に手を貸してしまっていたことの反省と謝罪を述べ、金の流れを細かく調べ上げ、告発していた。
『子どもたちには罪はありません。私はこれからもできる限り、この学校の存続に尽力します。子ども達の未来を守りたい。悪いのは腐りきった大人たちです。だから皆さんもどうか、彼女たちを見捨てることだけはしないでください』
メグの告発により、賄賂を受け取った人々は裁かれ、横領に関わったNGO職員も一掃された。そしてメグは、新たな寄付金窓口の設定とその案内が示された後追い記事も書いていた。メグらしい償い方、そして正義と勇気だ。
— でも、なぜリリアが行方不明に…?
確かにメグの記事は、政府や軍関係者にとっては都合が悪い。けれど狙われるならメグのはずではないのか?と疑問を抱いたミチの思考を読んだように、光江が言った。
「あの地域は、一夫多妻制でね。まだ幼い子どもが、孫が何人もいるようなジジイに嫁がされることもザラだ。大使館関係者に調べてもらったけど、どこかの嫁に出されたかもしれないと」
「…嫁…」
幼いうちに親の決めた相手と結婚させられる風習が残っている国や地域があることは、知識としてはある。けれどリリアの…写真のあどけない10歳の笑顔と結婚を結びつけることがどうしても許せず、ミチは激しい嫌悪感で奥歯を噛みしめた。
「このリリアって子は、あの学校のシンボルみたいに扱われてたらしいからね。お前の娘が学校に行きたいとか言い出したせいで、村がめちゃくちゃになってしまったと、事件発覚後、どうやら村中から相当責められたらしくてね。
父親は娘を村においておけなくなった。だから遠くのジジイに売り飛ばしたんじゃないかっていうのが、もっぱらの噂らしいけど、両親共に、どこに行ったかは頑なに話さないらしい」
きっとメグは、リリアは自分のせいで行方不明になったと責任を感じている。将来は先生か医者に。もしくは自分のような記者に。そう笑ったリリアの未来への希望が、自分が学校へ行くことを薦め、取材したせいで全て奪われてしまったのだと。
「メグの正義が間違っていたとは言わないよ。平和ボケしたこの日本の中にさえも、暴かれるべき闇も、社会に逆らっても守らなきゃいけない未来もある。それを世の中に出すために自分の命をかけられる、あの子の無鉄砲さは本物だし大したもんだ。でもね」
光江がジントニックを一口含み、ミチを睨んだ。
「大した根回しもできずに、結局、泣いて逃げ帰ってきただけってことが、気に入らないね。あの子にはどうにも——逃げ癖があるだろ」
「逃げたんじゃなくて…!」
珍しく声を荒らげたミチに、光江がふっと笑った。
「捨てたはずの男…アンタに泣きついてきたっていうのも、情けないじゃないか」
「…助けてと頼まれたわけじゃありません」
確かにメグは、眠れない、結婚して、と混乱し、ミチに縋りながら泣いた。けれど、その夜以来一度も…合い鍵を持っているのにミチの前に現れていないのだ。
「いつだって、オレが勝手にやってきたことです。アイツは確かに強くはない。でも最後は絶対に…自分で闘うことを選ぶ女です」
ミチの瞳の奥を探るように見つめていた光江が、ふぅ、と小さなため息と共に笑い、4つ折りにされた紙をミチに差し出した。そこには…メグがいるという場所の住所が書かれていた。
▶前回:「どういうつもり?」もう終わったはずの元カノが、突然うちに来た夜。男は戸惑い…
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この記事へのコメント
メグの件はかなり複雑だけど、多分今はメンタルズタボロ状態なんだと読み取りました。とにかく続きを早く読みたいですね。