口に出し文章に変わると、急激に照れがこみ上げて、ともみは慌ててごまかした。
「ほら、このところ、いろんなことがあったから。その上…」
とっくに振り切ったはずの過去が、名刺を持って現れた。逃げ回るつもりなどないけれど、今更何を求めて訪ねてきたのだろうという呆れと苛立ち。それを見透かしたように、たまには話をしに来いよ、とミチが言ってくれたから。
― 今だって。
説明の途中でともみは言葉を止めたけれど、ミチはその先を促すことをせず、ただ待ってくれている。
― 他人のために生きられる人なんだろうな。
目の下にある大きな傷の理由も、きっと誰かを守るためだったのではないだろうか。そしてふと、思った。
「プロポーズするときとか、一生守り続ける、って言ってくれそう」
「…誰が?」
「ミチさんですよ。ミチさんほど、一生の誓いってやつが似合う人もいないかも。あ、もしかしてもう、誰かに言ったことあります?」
「ないよ」
ミチは淡々と続けた。
「言わないよ、一生なんて。守れないかもしれない約束はしない。絶対に」
守れないかもしれない、って…?というともみの質問は、勢いよく入ってきたにぎやかな声にかき消された。
◆
「ごめん、ミチ、ちょっと奥の個室借りていい…?ってともみちゃんじゃん、久しぶり~」
元気だった~?と、ともみに近寄ってきたのは、Sneetの常連の愛だった。そしてその愛が腕を組んで連れていたのが、なにやらふてくされている様子の女子だったのだが。
― だいぶ、若いな。
桜色のミディアムボブの髪には、プラチナブロンドのようなメッシュが入っている。濃い化粧でかなり大人びた様子に見せているが、未成年だとともみは確信した。
「…凪(なぎ)?」
思わずと言った感じでつぶやいたのはミチだった。すると女子のふてくされ顔がぱぁっと輝いて愛の腕をふりきり、ともみを押しのけるような勢いでミチに駆け寄った。
「え~ミチさん!?まだここで働いてたんだぁ~♡ なんかますますマッチョになってるけど、やっぱかっこいいぃ♡ 初恋の人と会えるとかエモ過ぎ♡ ね、愛ママ、ミチさんと写真とって~」
― ミチさんが初恋の人…?
状況が呑み込めないともみと、ピンクヘアの女子にまとわりつかれたミチを見比べながら、愛が大きなため息をついた。
「ごめんね、ともみちゃん。うるさくしちゃって」
「いえ、全然大丈夫です。でもさっきその子が、愛ママって…」
「ああ、友達の子なんだけど、この子が小さい時から、愛ママって呼ばれてるの。さっき会食の後で、六本木の路地を歩いてたらばったり会っちゃった、というか見つけちゃったのよ。クラブの前で輩みたいな男とイチャイチャしてる行儀の悪い女子がいるなあっておもったら、この子でさぁ。
まだ高校生なのに親に反抗して、家を飛び出してた家出娘。だから、確保してきちゃった。とりあえずこの店に、母親も今から呼ぶつもりだったんだけどさ」
この子がミチのこと大好きだったの、忘れてた…とげんなりした様子で、愛はミチにじゃれつき喜ぶ女子高生を眺めながら、ともみに説明してくれた。
名前は井上凪(いのうえなぎ・16歳)。南麻布生まれの南麻布育ち。つまりまさに彼女こそ、生まれながらの港区女子というわけだ。
ミチさんが銀座のクラブで働いていた時の同僚の娘で、幼い頃からよく面倒をみていたらしい。凪の両親が不仲なこともあり、2年程前までは月に一度愛さんの家に泊まりにきていたほど、愛さんに懐いていたのだというが。
「16歳って言いますけど、この子、…お酒飲んでますよね?」
ミチの前のカウンター席をミチとの再会を喜ぶ凪に、押しのけられるように明け渡した時、ともみはかなり強い酒の匂いを凪から感じてた。
「やっぱりそう思うよね?酒の匂いぷんぷんしてるのに、私は飲んでなくて、彼氏が飲んだだけとか言うわけ。マジでその場でぶん殴ってやろうかと思ったけど、でもアタシがブチギレたせいで、ますます家に帰らなくなったら嫌だしさぁ」
― 酒だけなら…まだいいけど。
ともみがそう思った時、ドアの方が再びにぎやかになった。広告代理店のクリエイティブチームで、部署の食事会の後には、必ずSneetを使う常連客の団体だった。ということは。
「愛さん、すみません…」
「個室は、予約で埋まっちゃってた、ってことか」
すみません、ともう一度謝り、団体客を個室に案内するミチを見送りながら、愛が閃いたという顔をした。
「ともみちゃん」
「はい」
「店長のともみちゃんがここにいるってことは、今日は新しい店の方は休みってことだよね?」
「…はい」
とても、とても、イヤな予感がした。
「この子ね、美容整形をしたいらしいんだけど、それを母親が反対してケンカになって、家出したみたいなの」
「そうなんですね」
「またこの子の父親が最低の浮気男で、両親の関係は完全に破綻してるわけよ」
「そうなんですね」
「ともみちゃんの新しい店ってさ、女子を助ける店なんだよね?」
「いや、そんな単純なコンセプトでは…」
「今日は私を助けて…!なんでもお礼するから、今からお店、開けてくれない?」
お願いします!と手を合わせられ、拝み倒されてしまい、ともみは逃げられず…。定休日のはずのBAR・TOUGH COOKIESを開け、愛、そして家出中の娘と母を店に受け入れることになってしまったのだ。
▶前回:「別れたほうがいい、とわかってるのに離れられない…」恋愛に不器用な女の共通点
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
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この記事へのコメント
凪の顔がどんなか気になるけれど、親権者の同意が必要な間は親に従って成人してから自分のお金で検討すればいいと思うけど。何言っても聞かなそう😂 あと愛さん元気そうで何より。
ルビーならこの小生意気なJKを手懐けた上でビシッと怒ってくれそうなのに。