どうやら先ほどの男性は偶然にも、カウンター席で隣になった女性と知り合い同士だったらしい。
会話が盛り上がるその傍で、グツグツと熱い状態で提供されたアッシパルマンティエ──じゃがいもとひき肉のグラタン──が無視され、最高の食べごろを見逃されていく。
― ああ…料理が冷めていく…!それは熱々が美味しいのに…!
10分後、ようやく手をつけられたアッシパルマンティエは、すっかり上のチーズが固くなってしまっていた。
さらに女性に至っては、その固くなってしまったチーズをペロリと剥がして、お皿の横によけられる始末なのだった。
「ごちそうさまでしたぁ〜」
ふたりが食事を終えて連れ立って店を出た時、ちょうどランチタイムも終わり、店は空っぽになった。
皿を下げてみると、女性はカロリーを気にしていたのだろうか。ほとんどのお料理が半分以上残っているうえに、デザートのクレームダンジュにおいてはたったの一口も手をつけられていない。
シェフの三隅くんが、僕が下げた皿を心配そうに覗き込む。
「五味さん。こちらのお客さま、お味がお気に召さなかったですかね?それとも、量が多かったかな。他のお客さまは皆さま完食されているんですけど…」
けれど僕は心配そうな顔を浮かべる三隅くんに、なんともいえない寂しさを抱えながら慰めの言葉をかけるのだった。
「いや…。“こんなもの”だと思って、諦めるしかないよ」
“こんなもの”。
自分で言っていて悲しくなってしまうけれど、この世界は言葉の通り、“こんなもの”なのだ。
52歳になった今の僕は、いやというほどそれを知っている。
52歳。
飲食業界に身を投じて、34年が経つ。高校生の時の喫茶店のアルバイトも含めれば、37年だ。
小さなフレンチのシェフから経営者に転身はしたものの、人生の半分以上もの時間を飲食業で過ごしていることになる。
そして、身に染みているのだ。この仕事では多かれ少なかれ、こういった寂しい想いはついて回るもの。
洋食店で、パリッと焼けたチキンソテーの皮を剥がしてしまう人。
鮨店で、ネタだけ食べてシャリを残す人。
ワインバーで、コーラしかご注文されない人。
お料理の写真だけ撮って手をつけられない人に、一口も召し上がらないうちに大量の調味料で独自の味付けをなさる人…。
僕が経営しているのは、恵比寿のフレンチ。代々木の洋食店。伊豆の鮨店に長野のオーベルジュ。そしてこの、銀座のフレンチ。
そのどこでも、虚しい想いをすることはある。特に最近は、喜びよりも虚しさが勝つことの方が多いのだった。
虚しさの原因について、思い当たる節はある。
シェフとして現場に立たなくなったことも一因だと思うけれど、何より───僕はおそらく、歳を取り過ぎてしまったのだ。
美味しいものを食べてほしい!という熱い気持ちは今や、「諦め」の名の下にすっかり冷め切ってしまっている。まるでさっきの、アッシパルマンティエみたいに。
努力はしているつもりだ。現場で客の顔を見ることで喜びを取り戻そうと、ここ数年はこうして店に立つ機会を増やしてみてもいる。
けれど、どうにもこうにもつまらない。
チーズが冷めていくのも耐えられないし、近年増えた気がする写真撮影のためだけに料理を注文する客に関しては、もういっそすっかり店を辞めてしまいたくもなる。
だけど、店を辞めたところで一体今の俺に何ができるというのだろう?
仕事を楽しめないのは、気力がないからだ。
つまり、52歳なんて、もう燃え殻のようなもの。自身の心の奥底を探しても、熱い気持ちはどこにも見つからない。
マナーの良くない客にガッカリしてしまうのもきっと、歳を取り過ぎて頑固になってしまったからなのだろう。
だけど、飲食業界でしか働いたことのない僕にできることなど、他になにもないのだ。
あとはきっと、消化試合。
つまらない人生を残り時間を暇つぶしのごとく消費して、死んでいくだけ。
◆
― 52歳か。歳を重ねるって、本当につまらないことだよな…。
ランチタイムの失望で燃え尽きてしまった僕は、ディナーは店舗に立つことをキャンセルした。
もともと人手は足りているし、シェフの三隅くんは優秀だ。
「いつか五味さんみたいに、レストランを複数経営してみたい」という夢を普段から熱く語っているし、実際にその資質があると感じている。僕がいなくても店は回る。
もともと予定していた八丁堀での顧問弁護士との打ち合わせを夕方に終えると、もう僕のすべきことは何もなかった。
― あの弁護士の先生はいいよな。確か同い年だけど、枯れるどころかどんどんイキイキしてきてる。弁護士ってきっと、やりがいがあるんだろうな…。
実は、弁護士という仕事には、もともと強い憧れがあった。
けれど僕が高校生だった時には、家庭の金銭的な事情で大学受験は視野になかったし、同じくらい料理にも興味があったからこの道へと進んだのだ。
結果、向いていたから今の成功がある。その選択に後悔はない。
ただ、意味はないと分かっていながら、ときどき考える。
― もしも、俺が弁護士だったら…。
そしてすぐに頭を振るのだ。
もう、52歳。今さら何を言っても遅い、と。
ぼんやりとそんなことを考えながら、八丁堀から築地方面へとあてもなくぶらぶら歩く。
急に暇になってしまった僕は今の現実にフォーカスすべく、“視察”と心の中で銘打って、道すがらいくつかの流行の飲食店を見て回るのだった。
この記事へのコメント
いやー、お里が知れるわ。グルメぶって「ランチも妥協出来ない」とかどの口が言ってるんだ? 汚なく食べたり平気で残す奴が美食家ぶってるの、恥ずかしい。
減価率ではなくここでは原価率ですね。