ともみは、今の桃子の状況を考えると、男は桃子の才能を利用するために距離を縮めたのではと想像した。
「私の夢が、いずれ自分のブランドを持つことだっていう話もバカにせずに聞いてくれて。あの日、見てもらったデザインは、春風の中で揺れることをイメージしたワンピースで。
ずっと寒かった季節に春の風が吹くと、イヤなことやつらいことを吹き飛ばしてくれる気がして、私、春が大好きなんです。だから春風の中で感じる、新しいことが始まる予感がするあのワクワク感をワンピースに落とし込みたくて、風に抗わない線、というテーマでドレープの入ったワンピースを書いたんです。
そしたら、君の描く線には独創性があって命があるって。風に抗わない線、というのがすごくいいコンセプトだと褒めてくれて。でも…後になって、このコンセプトを永井さんに盗まれちゃって。私に無断で…自分のアイディアとして発表しちゃうっていう地獄を見たわけなんですけどね」
裏切られたことを地獄だと表現し、自虐的な笑みを浮かべたままその目に涙をにじませながらも尚、男がくれた言葉を“忘れられない”と語る。その桃子の表情に、恋の喜びのかけらが、ほんのわずかだけれど残っているように見えたからだ。
― 彼女はまだ、彼への気持ちを…恋を捨てきれていないのではないか。
疑問を浮かべたともみが言葉を選んでいると、ルビーが呑気な声を出した。
「風に抗わない線、かぁ。風に身を委ねるとかだとありがちな表現だけど、抗わないってすごくイケてるコンセプト。桃ちゃんって才能あるんだねぇ。アタシ、桃ちゃんの作った服を着て踊ってみたくなっちゃった」
あ、私ポールダンサーやってるんだぁと、いつの間にか生ビールの入ったグラスを手にし、よいしょ、と桃子の隣に座った。
いつものペースを取り戻したどころではないルビーの豹変に、ともみは呆気にとられたが、桃子は“ポールダンサー”という自己紹介に驚きつつも、同席されることも、桃ちゃんと呼ばれることも、あっさりと受け入れている。
「裏切りはともかくとして……どうやって付き合うことになったの?」
ルビーが聞いた。
「その日に、水原さんだった呼び名が桃ちゃんになって。オレは桃ちゃんに才能を感じてるし、その才能を育てて伸ばしてあげたいと思う。でもそれとは別に、仕事の上司と部下というだけではなく、1人の女性として桃ちゃんに惹かれてる、って言われました」
「…惹かれてる。それから?」
「ずっと一緒にいても疲れないアシスタントは初めてだし、オレたちはプライベートでも相性がいいと思う。桃ちゃんはオレのこと、男としてはどうかな、と言われて」
「…それから?」
「私も男性としても好きですと答えて、付き合いが始まったんだ…と思います」
「あ~出たよ、肝心なことは何も言わない系オトコ。そりゃ本命がいたからだろうけど、付き合おうとか、恋人になってとか…実は言われてないでしょ?」
ルビーの問いに黙ってしまった桃子が、ベリーニがほんの少しだけ残るシャンパングラスの柄をグッと握った。その緊張を和らげようと次のお酒はどうされますかと聞いたともみは、ふとルビーが自分を心配そうに見ていることに気がついた。
― なんで、ルビーが私をそんな目で見るの?
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