予想外過ぎる言葉が、無理やりにでもまとまりかけていた思考をいとも簡単に乱し始めたことにともみは苛立った。
「そういうこと言うのやめて」
「でも本当なんだ。ともみちゃんのことが大事で大切だよ」
「ともみちゃんが大事。それは本当に」
あろうことか繰り返された“大事”や“大切”は、天然人たらしの男にとっては大した意味を持たないのだろう。でも、ふった相手に、しかも、ふった直後に言うことではないと、ともみは心底呆れた。
「だから、ともみちゃんが、もうオレに会いたくないっていうのなら、オレはSneetにも行かないようにするし、連絡も一切しない。東京に帰ったら、二度と会わないようにする」
二度と会わない。その言葉の強さにともみは衝撃を受けた。永遠のリフレインのように脳内で繰り返されるそれをうまく処理できないまま、なんとか声を絞りだした。
「…私が大事だから…私に選択肢をくれるってこと?」
「そうだね。ともみちゃんの望むようにするよ。なんでもする」
「簡単に何でもとか言ったらダメだよ。だって…」
これからも体の関係だけでも続けて欲しいと言ったらどうするのだろう?ストーカーのようにしつこく追い続けたら?大輝の無防備さへの怒りを覚えながらも、ともみは衝動的に思ってしまった。
― 会えなくなるなんて、絶対にイヤだ。
さっきも今も、木っ端みじんに打ち砕かれ粉々になったはずの恋心。その破片が体内のあらゆる場所に突き刺さり、じくじくとした痛みを放ちながら消えるもんかと足掻き、アピールを始めているような。
その報われようのない感覚に、ともみは途方に暮れそうになる。それなのに。
― なんで、あなたが傷ついた顔をするの?
主人に叱られた後の大型犬のように、うな垂れてこちらを見ている大輝を許さず、今すぐ離れて逃げて。理性はそう警告しているのに。その反省顔にすらときめいてしまう自分が本当にどうかしているとともみは呆れた。
「…大輝さんが本命に捨てられちゃう、っていうのがなんとなく分かった気がする」
「…どういうこと?」
「なんというか…素直と無邪気の皮をかぶった無自覚無神経だから?」
大輝がしばし茫然とした後、ともみちゃん強烈…とさらに深くうな垂れた。その様子が可愛くて、ともみは主導権を取り戻した気持ちになり、覚悟を決めた。
「本当に私の好きにしていいなら、今日から友達になりたい」
「…え?」
「私、大輝さんのルックスが本当に大好きだから。こんなに美しい物体を、この先二度と拝めなくなるなんて嫌だもん」
「…物体って…」
「だから、友達になろ。今日から」
ともみが大輝に右手を差し出すと、訳が分からぬままという様子で大輝がその手を握り返した。
「友達の握手。で、早速なんだけど、大輝さんがまだ未練のあるその人のこと、教えてくれない?私をふったことが悪いと思うなら、どれだけいい女なのか教えてよ」
◆
「ともみちゃん?寝るなら、部屋で寝なよ。ともみちゃん?」
テラスで飲んでいた白ワインの残り、さらにはもう1本を、ともみがほとんど1人で飲み干した頃には、彼女にはもう大輝の声が聞こえていないようだった。
大輝が、自分を捨てたのは人妻であること、そのいきさつを聞かれるままに話すと、ともみは驚き、不倫は理解できないという前提のもとに冷めた口調で言った。
「そういう“誰かに守ってもらわないと生きられない”と思わせる女性って、だいたい一人で図太く生きていけるんだよね。男の人の“この子はオレが守らないと”ってやつもほぼ勘違いだから」
人妻に対する苛立ちがワインのペースを上げたのか、酒に強いはずのともみが話しながら眠ってしまった。
大輝は驚きながらも、ワイングラスを持ったままソファーにもたれかかったともみの、そのグラスを手からそっと放すと、ともみを抱きかかえて2階の寝室に運んだ。
ベッドに寝かせて布団を優しくかけると、ともみが小さくうーんと唸り、寝返りを打つ。
「ともみちゃんも十分守りたくなる人、なんだけどね」
ともみは大輝がそうつぶやいたことも知る由もなく、深い眠りに落ちたまま、次の日、史上最悪という羞恥で目覚めることになるのだった。
第1章 Fin.
▶前回:「彼女になりたい」曖昧な関係に終止符をうつべく告白した28歳女。男の返事は意外なもので…
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
▶NEXT:5月6日 次回から、火曜更新に変更になります。
第2章はじまる!
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