2024.09.25
マティーニのほかにも Vol.11昨日1日かけて作った、手作りのケーキ。
龍一好みのシンプルないちごのショートケーキで、上にはきちんと『HAPPY BIRTHDAY!』というチョコレートのデコレーションまで施してある。
それなのに───誕生日の昨日。龍一は、当たり前のように帰ってこなかった。
帰宅どころか、送ったケーキの写真も、いつものメッセージと変わらず既読スルーされている始末だ。
「生ケーキはさすがに、これ以上はとっておけない…よね」
賞味期限的な意味でも、角煮を入れる場所を作る意味でも、せっかく作ったケーキは廃棄すべきだろう。
そう思った沙耶香は、冷蔵庫から両手で慎重にケーキを取り出す。
けれど、その途端。とてつもない悲しみと苛立ちが、突然沙耶香を襲ったのだった。
頼まれてもいないのに、沙耶香が勝手に作っているのだ。ただの料理であれば、沙耶香が自分で食べればいい。
けれど、これは龍一のバースデーケーキだ。沙耶香が先に手をつけてしまっては台無しだと思い、昨日から手をつけないままの状態でしまっておいた。
そのケーキが結局、口をつけられないまま廃棄になる。綺麗にデコレーションして、美味しく食べてもらおうと念入りに作り込まれたのに、ゴミ箱行きになる。
その様子が沙耶香には、まるで自分自身を見ているように感じ、無性に辛くなってしまったのだった。
「もうっ!なんなのよっっっ!」
気がつけば沙耶香は、手に持っていたケーキをシンクに力いっぱいぶちまけていた。
ケーキだけではない。先週作った筑前煮も、4日前に作ったアジの南蛮漬けも、一昨日作ったカニクリームコロッケも…さっき作った豚の角煮も、冷蔵庫から次々に取り出してはシンクに捨てていく。
どれもこれも、歯科衛生士をしながら婚活をしていた独身時代に、料理教室に通って覚えた自慢のメニューだ。
「どうしてっ!私、こんなつもりじゃなかったのに…!」
すっかり冷蔵庫の中身が空っぽになると、沙耶香はまるで、自分自身も空っぽになってしまったような気がした。
肩で息をしながら沙耶香は、歯を食いしばり絶望的な虚しさに耐える。
そして、3年前。結婚たった3ヶ月目で龍一から「離婚しよう」と言われた、あの夜のことを思い返すのだった。
結婚して3ヶ月目に訪れた悲劇
「ゲェ〜、よくそんなもの食べられるね。俺はムリ」
いつもの夕食のあと、龍一と一緒に食べようといくつかのフレーバーを買っていたアイスクリーム。
その中から、沙耶香が一番好きなチョコミントを選んだ時に龍一が言ったのが、その侮蔑の言葉だった。
「え?なんでそんなこと言うの?美味しいよ」
「いやいや、チョコミントなんて歯磨き粉の味じゃん。沙耶香、いくら歯科衛生士だったからってキャラ作らなくていいから笑。今後はチョコミントはやめて、違うの食べな?」
「…別に、キャラ作ってるわけじゃないし」
ムスッとする沙耶香に、龍一は意外そうな表情を浮かべる。
「え?なに?怒ったの?」
「…怒ってないよ」
「怒ってるじゃん」
「怒ってないって」
「いや、怒ってるよ。なに沙耶香、アイスの味くらいでさぁ」
「怒ってないってば!しつこいなあ!!」
思ったよりも大きな声が出てしまったことに、沙耶香自身もハッとする。
けれど、言われた側の龍一は、沙耶香よりももっと顔を引きつらせ…しばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いたのだった。
「なんかさ…俺たち、勢いで結婚したみたいな部分あったけど…合わなくない?」
「え…?」
その言葉に、沙耶香は思わずギクっとしてしまう。と同時に、強い怒りも覚えた。
龍一とは、合わない。
その言葉は沙耶香にとって図星であり、かつ、自分の全てを否定する言葉だったから。
幼い頃からずっと専業主婦になりたかった沙耶香は、とにかく“結婚”を人生のゴールにしていた。
歯科衛生士になったのも、自分磨きをしながら、歯科医師と出会ったり、食事会などに呼ばれる機会が多そうだから。
現に、龍一との出会いは食事会だった。
公認会計士として監査法人に勤める龍一の第一印象は、「専業主婦になるには最高の物件」。そう感じた沙耶香は、自分の方から龍一に猛アタックし、結婚に至った。
龍一への気持ちは───第一印象から、変わっていない。深い愛情や燃え上がるような想いは、未だに持てていない。
だけど、そうは言っても、龍一に対して“いい妻”をやれているはずだ。
龍一が言うようにメイクも薄くしたし、龍一が言うように友達と夜遊びにも行かない。
龍一が言うように外食はせず、龍一が言うように毎日好みの手料理を作っている。
結婚してからずっと、コップの磨き方から洗濯物の畳み方一つまで、ニコニコと龍一の言う通りに合わせてきたのだ。
― それなのに…合わない、って?
たしかに、チョコミントのことくらい、笑って受け流せばよかったのかもしれない。けれど、小さな不満を溜め込み続けた結果、不覚にも爆発してしまった。
「……」
何も言えずにいる沙耶香に向かって、龍一は重たい口を開く。
「沙耶香…。今ならまだ傷は浅い。お互いのために、離婚しようよ」
その言葉にさらに傷ついた沙耶香は、立て続けに龍一の前で、半狂乱になって取り乱す姿を見せてしまったのだった。
沙耶香は完全に病んでるしキレながら食べ物をシンクにぶちまけるとかそりゃ目に余る言動は多々あるけど、そもそもそこ...続きを見るまで追い詰めたのは旦那のほうなのでは
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