情緒不安定すぎて「一緒にいてしんどい」と言われた過去
金曜の16時。
茜は、四ツ谷にある自宅マンションのソファに沈み、うなだれていた。暖房がきいて部屋は暖かいのに、気分は冷え切っている。
ハンガーラックにかかっている新品のそれを、上目遣いで睨む。明日、陸人とのデートに着ていこうと思って買ったMax Maraのネイビーのワンピースだ。
肌や髪も入念に手入れして、準備万端だったのに…。
「なんかイライラする…。タイミングが最悪」
今朝から生理前のイライラ期間に入ってしまい、リモートワークも全然集中できない状態だった。
― ほんとにもう、生理にはうんざり。
実は茜は、PMS(月経前症候群)と生理痛に悩まされている。
毎回、生理前は1週間ほどイライラする。生理中は、お腹が痛くてつい不機嫌になってしまう。
となると、通常の自分でいられるのは2週間ほど。月の半分しか、茜は自分らしく振る舞えないのだ。
対策として高校時代からやっているのは、手帳に生理周期を書き込んで、大事な予定はすべて「影響がない2週間」に詰め込むこと。
― これまでも、大事な面接やデートの日は、この方法で乗り越えてきたけれど…。
仕事が忙しいからか、最近は生理周期が変わりやすい。綿密に計画を立てても数日ずれることが多々ある。
― 今回だって、あと1週間は大丈夫なはずだったのに。
「こんなんじゃ彼に会えない」
少しでもPMSの影響を感じると、茜は怖くて大事な人に会えない。なぜなら、過去の苦いトラウマがあるからだ。
「茜って、情緒不安定すぎて一緒にいてしんどいわ」
「なんか…思っていた子と違った」
「自分の勝手でスケジュール決めんなよ」
過去に付き合った男性から、時にはそんな言葉をぶつけられてきた。
普段人当たりがよくニコニコしているからこそ、感情の起伏が表に出た瞬間、相手に失望される。
― 陸人くんに失望されるのだけは、絶対イヤ。やっぱ私なんて、陸人くんとは不釣り合いだよ。
投げやりな気持ちで陸人にLINEを送る。
『茜:ごめんなさい。ちょっと仕事が入っちゃって、明日会えないです』
― こんなんじゃ私は一生、楽しく恋愛できない。
生理に振り回される人生なんて最悪だ。クッションに顔をうずめるとポロポロ涙が出てくる。
― ああ、こんなことしてられない…。仕事が溜まってるんだ。
ITベンチャーの営業として忙しく働く茜は、気持ちを駆り立て、資料作りを再開した。
茜に灯された一筋の光
「もう22時だ。結構残業したね」
表参道のオフィスで、2つ上の先輩・璃々子が微笑みながら伸びをした。営業部は、年度末の繁忙期だ。
「茜ちゃん、今日はここまでにしよう」
璃々子は、去年の10月に転職してきたばかりなのに頼もしい。それにいつも気分が安定していて、にこやかで、集中力がある。茜がミスをしたときも、さらっとカバーしてくれる。
― ステキだなあ。きっと、プライベートも充実してるんだろうな。
聞くところによると璃々子は今、彼氏と交際3年目。とても仲がいいと言っていた。
羨望の裏に、ちょっぴり妬ましい気持ちも湧いてくる。
そんな茜とは対照的に、璃々子は笑顔でチョコレートを差し出してくれた。
「はい、お疲れさま」
茜は妬んでいた自分が情けなくて、泣きそうになる。
「ありがとうございます。璃々子さんはいいですよね。私と違って、なんか……なんでもうまくいってそう」
「え?茜ちゃん、何かあったの?」
璃々子が心配そうに顔を覗き込んでくる。もうこうなると、あふれる感情を茜は止めることができない。
気分が安定しないこと。憧れの彼との約束をドタキャンしてしまったこと。仕事でも集中力が散漫で、細かいミスがずっと直せないこと。
涙目で話す茜に、璃々子は「わかる」とうなずき、ふんわり笑った。
「私も昔はそうだったから。仕事も恋愛もうまくいかなくて、ちょっとしたことで泣いてわめいてた。付き合っている人がいても、当たり散らしてすぐ別れちゃって」
― 本当に?
「じゃあどうして璃々子さんは今、変われたんですか?」
「低用量ピルを飲み始めたからかも」
「…低用量ピル?」
璃々子はベージュのバッグに手を伸ばすと、優しい口調で「これ」と言った。
「スマホでピルの相談・診察・処方までできるから、自分の好きなタイミングで受診することができるの。私たちみたいに多忙な女子にもおすすめ」
― スマホで、しかもオンラインで始められるの?なら一度試してみようかな。
月の半分をムダにするのは、もうコリゴリだった。璃々子みたいに、本当の自分らしく過ごしたいと茜は思う。
― 低用量ピルを飲み始めたら、気持ちが安定する?そしたら、陸人くんを堂々と誘える…?
茜は、人生の光が見えた気がした。