美女たちの決断 Vol.1

美女たちの決断:一人旅でモンゴルの遊牧民に教わった、お金より大切なものとは?

人生には、決断をしなければならない瞬間がある。

どちらの道を選ぶのかで、その後の人生が大きく変わることもあり得るだろう。

美女たちは、これまでどんな選択をしてきたのか、心のうちを覗いてみよう。

今回は、すらりと伸びた長い手脚と、妖艶な眼差しが印象的な、あのんさん。

中国語・英語・日本語の3ヶ国語を巧みに操るトリリンガル美女の人生に迫る。

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写真をクリックすると、あのんさん撮りおろしフォトグラビアが多数ご覧いただけます!

中国で暮らした少女時代


あのんさん、24歳。

街を歩けば誰もが振り返るような、華やかな印象の美女だ。

抜群のプロポーションに、思わず見惚れてしまう…!


タレントとして順調にキャリアを重ねるあのんさんのルーツは、中国にある。

彼女は、中国人の母親と日本人の父親のあいだに生まれた。

「生まれは日本で、その後すぐ母の故郷である中国の長春(ちょうしゅん)に渡りました」

長春は、ロシアとの国境付近に位置し、寒い時はマイナス30度になることもあるという地域。

「自然豊かなところで、夏は昆虫を採ったり、冬は湖に張った氷の上でアイススケートをしたりしていましたね。

食文化も日本とは違って、豚肉や牛肉よりもラム肉中心の食事が多かったです」

幼少期をのびのびと過ごしていた彼女だが、小学校に上がるタイミングで、両親の仕事の都合で日本に戻ることになる。

「それまで中国で暮らしていたので、日本語がまったくわからなくて…。言葉が通じず学校のなかで孤立していました。

毎晩、寝る前に日本語をいくつか覚えて、起床後に母親に発音をチェックしてもらいながら復習していました。

学校では、1時間目は、私だけ別室で日本語のレッスンを受け、2時間目からクラスの皆と同じ授業を受けていたので、孤独な日々でした」

しかし、こうした努力が功を奏し、高学年になった頃からは言葉の壁は感じなくなったという。

小学校5年生になると学級委員長も務め、周囲と打ち解けられるようになった。

「でも、言葉がわからなかった頃に感じていた“疎外感”は、ずっと心の片隅に残っていました。

『私は皆とは違うんだ』ということにコンプレックスを感じていたので、中学に入ってからは、中国で育ったことは、周囲に隠して過ごしていました。

中学受験をしたので、幸い私が中国で育ったことを知るクラスメイトはいなかったので…」

そのうち、信頼できる友人が徐々に増え、「私は私のままで良いのだ」と思えるようになる。

「そこから学校生活が楽しくなりましたね。友達と一緒に試験前にファストフード店でテスト勉強をしたり、剣道部に入りスポーツに熱中したり」

涼やかな眼差しの彼女に見られると…ドキッとする。


大学受験を控えたタイミングで、将来の夢を意識するようになった。

「当時は、語学力を生かしNGOで人道支援ができる仕事に就きたいと思っていました。そのために日本語と中国語だけではなく英語も勉強したいと思うようになりました」

外国語学部のある大学に進学した彼女。

その頃、英語の授業と同じくらい情熱を注いでいたのは、海外旅行だった。

「飲食店やコンビニのバイトでお金を貯めて、まとまった休みがあると、親にも内緒で一人で海外旅行に行っていました。

印象的だった国はモンゴルです。遊牧民のテントに滞在させていただき、現地の方と一緒に乗馬をしたりしました」

現地で人生観が変わるような出来事もあった。

「それまでの私は『かわいい服や高級ブランド物のバッグがほしい。そのためにお金がほしい』と考えていました。

でも、遊牧民には、高級品より羊一頭から採れるミルクのほうが大事なんですよね。

スマートフォンを持たないし、電気やガス、水道も通っていない。

そんな暮らしのなかでも豊かな生活を送る現地の方々の姿を見て、『幸せの基準はお金だけではないかもしれない』と自分の価値観が変わりました」

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