金曜美女劇場 Vol.170

福岡が生んだ奇跡!男子と話せないシャイな女の子だったのに、人前に立つ仕事に…

透けるように白い肌と、清らかなブラウンアイ。

本格派バレエ美女の意外な素顔に迫る。

福岡が生んだ奇跡

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柊 有紗さん、23歳。

整った顔立ちと、みずみずしい肌が印象的な美女である。

見惚れてしまう背中


現在、モデルやインフルエンサーとして活躍する有紗さんの生まれは福岡。

「都心部と田舎町の、ちょうど中間地点で育ちました。

小さな頃から恥ずかしがりやでした。男の子とは話せなくて。いつも決まった女友達と遊んでいるような子でした」

幼少期から時折、芸能事務所のスカウトを受けていたという。

「モデルや女優のお仕事に憧れていたのですが、恥ずかしくて周囲には言えませんでした。だから、せっかく声をかけて頂いても断っていましたね」

引っ込み思案な娘を案じた母親が、小学校入学のタイミングでバレエを習うように勧める。

「母としては、ステージに立ったりして、度胸をつけたほうが良いと思ったんでしょうね。当時3歳上の姉もバレエを習っていたので、思い切って私も足を踏み入れました」

そこからは、バレエ漬けの日々が始まる。

「平日、週4〜5日のペースでレッスンに通いました。友達とも遊びたかったので、バレエとプライベートの両立は、子どもながらに頑張りました」

母親の思惑通り、バレエによってコミュニケーション能力を培った有紗さん。

中学・高校一貫の地元の女子校に進学後もレッスン漬けの日々を送ったそうだ。

透明感がすごい


多くのバレエコンクールに挑戦し、日夜、研鑽を積んでいた有紗さん。

高校時代には「全日本バレエコンクール」で、特賞にあたる準ミスバレリーナ賞を受賞した。

そして、高校3年生のとき、ロシアの名門バレエ学校からスカウトを受ける。

「高3の秋から親元を離れてロシアに渡り、すぐ現地での生活が始まりました。

プロのバレリーナになりたい夢を持つクラスメイトたちと厳しいレッスンを受けることになりました。ロシア語はわからないし、体重管理が厳しいので、ついていくのが大変でした。

山のように辛いことはありましたが、ライバルも多かったので、泣くわけにはいきませんでした」

こうして1年半の過酷な海外生活を経て帰国した彼女は、次のキャリアに進むことになる。

プロのフィギュアスケート選手を目指す子どもたちを育成するコーチになることにしたのだ。

当時、弱冠19歳。

「指導をする側に回り、改めて自分の力不足や至らなさを実感しました。でも、子どもたちって向上心がすごいんです!

私は下半身の表現を教えるのが得意なコーチでした。一度、指導すると次のレッスンまでにしっかり体得して、抜群に良くなっている子が多くて驚きました」

厳しかった海外生活を経て、「先生」というやり甲斐のある仕事を見出した有紗さん。

一方、同じ時期、Instagramに自分の写真や愛用品を投稿しているうちに、フォロワー数が伸び始めたそうだ。

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