「自分だけが取り残されているような気持ちになる」俳優・竹中直人が追い求めた人とは

俳優をはじめ、映画監督、コメディアン、写真家、画家、ミュージシャン、エッセイストなど、多彩な分野で活躍する竹中直人さん。

芸能人生に大きく関わった“運命の街”が、ここ神楽坂だという。

神楽坂の鮨店『鮨 一宇』で握りをつまんでいただきながら、第一線を走り続ける秘訣に迫った。

神楽坂の鮨店『一宇』で最初に口にした握りは「スミイカ」。「やだぁ、美しいんだから」と独特の調子で鮨を愛で、現場を和ませた


「特別な街です」

神楽坂での思い出話を求めると、竹中さんは独特の低い声を響かせた。

「忘れもしません。今から30年ほど前のことです。当時38歳の僕は、神楽坂の料亭にいました。

一緒にいたのはNHKのプロデューサーとディレクター、それから脚本家の竹山 洋さん。大河ドラマへの出演が決まり、その打ち合わせを兼ねたお食事会です」

懐かしいと思った方もいるだろう。1996年の1月から12月まで放送されて、平均視聴率30.5%という高記録をたたき出した『秀吉』のことだ。

竹中さんは、明るくエネルギッシュな新しい秀吉を演じ、人気を博した。

「大河の主役は絶対二枚目の俳優ですからね。プロデューサーからは多くの人の反対を押し切ってのキャスティングだと聞かされました。

それで提案したんです。でたらめな大河にしたいです!所作とか取っ払って、めちゃくちゃ汚い無様な秀吉にしましょう、って。

秀吉は農民から天下人まで上り詰めたのだから、きっと死に物狂いのハイテンションだったのではないだろうか。優等生がやる品行方正な芝居でなく『なんだこれは!?』と思わせたかった。

今こうして話していると、つい昨日のことのような気がしてきましたよ。僕なんて神楽坂で食事するってだけで緊張しちゃうのに」

そうだろう。大河の主役は間違いなく大役。

納得しながら、こうも思った。竹中さんにも神楽坂に緊張感を覚える時期があったのか。

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