港区に住み、一流の企業に勤め、高い年収を稼ぐ男たち。
五十嵐翔もそんな「港区男子」の一人だ。
外資系コンサルティングファームに勤める、30歳の翔。
全てを手に入れたパーフェクトな男のはずなのに、彼には小さなトラウマがあり、恋愛がなかなかうまくいかない。
翔が忘れられない、過去の苦い思い出とは?
翔には、思い返すと胸がちくりと痛む、そんな出来事がある。
あれは随分前、まだ入社1年目の頃のことだ。チームの先輩に連れられて参加した初めての食事会。
六本木のダイニングバーの個室で、目の前にずらりと並ぶ、ITベンチャー企業の美しい女たち。
社会人になって初めて足を踏み入れる煌びやかな世界に、翔は期待で胸を膨らませていた。
その中でも、女性陣の中で最年少と思われる女に気を取られていた。ふわりとしたオーラ、長い睫毛と、大きな丸い瞳。思わず目が釘付けになる。彼女も、翔と同じくらいの年齢だろうか。
学生時代の翔だったら思わず尻込みしてしまうような、華やかな女。しかし大学を卒業して、外資の一流コンサルティングファームに勤める男となった今、恐れるものは何もない。
食事会の前半は、ひたすら盛り上げ役に徹していた。そして彼女の隣の席が空いたのを見計らって、すかさず移動した。
「ねえ、そんなに可愛いのに、本当に彼氏いないの?」
耳元に顔を寄せ、そっと囁く。少し困ったような表情を浮かべつつも、決して距離を取ろうとはしない彼女の様子に、翔は確実な手応えを感じていた。
酒も進み、すっかり盛り上がったところで、幹事役の先輩がこんなことを言い出したのだ。
「みんな、どんな男性がタイプなの?」
女性陣は代わる代わる「男らしい人」とか「優しい人」とか、ありきたりな回答を口にしていく。そして翔が狙っている彼女の番がきたとき、躊躇することなくこう答えた。
「私は…タバコを吸わない人が好き」
翔は、ギクリとした。つい今しがた、彼女の隣で何本も煙草を吸っていたのだ。
—これって…俺に向かって言ってるんだよな…。
気まずくなって、さりげなく彼女から距離をとる。とっくに火は消していたものの、匂いが残っているのではないかと気になったのだ。しかし、今更あがいても後の祭り。
その後はもちろん、彼女の連絡先を聞くことはできなかった。