「歌えなくなった原因を作った人に、正面から闘いを挑むなんて…やっぱり、やっちゃいけなかった」
8年前の傷を時間が癒やした自分とは違い、YUMEはいつ蘇るかわからない爆弾のようなトラウマを今も抱え続けていること、その傷が深くなるリスクを覚悟してこの計画に挑んでいること。それらを――。
「勝手に理解した気になってただけだったんだと思う。ほんとに……ごめん」
「歌いたいって言ったのも、そもそも復讐を手伝って欲しいとお願いしたのも私です。寧ろともみさんは巻き込まれた側じゃないですか」
ともみは、それは違うよ、とYUMEの肩をもう一度抱き寄せる。
「私もずっとYUMEへの後ろめたさを…抱えたままだったから。あなたを見捨てて自分たちだけでグループを続けたことも、消えたあなたを探さなかったことにも、罪悪感があったの。だから再会して、過去の自分の罪を拭えるチャンスだと喜んでしまった。真壁さんを告発することが、業界の闇を暴く正義だと自惚れてもいた」
「ヒーローにでもなったつもりですか」という佐藤弁護士の言葉が蘇る。
「YUMEが、もう一度――ステージで歌いたい、挑戦してみたいと言ってくれた。その時点で――復讐なんてやめよう、って私が言うべきだった」
「ともみさん…?」
YUMEの瞳に困惑が広がり、ともみの表情を確かめるように2人の体が離れた。
「恨みはあるし、許せないよ。でも過去の憎しみよりも、今のYUMEを守りたいし、大切にしたい」
ともみは一息つき、戸惑ったままのYUMEをまっすぐに見つめる。
「これから私が言うことを信じてくれる?」
もちろんです、と頷いたYUMEに、きちんと伝わりますようにと願いながら、ともみは少し緊張しながら…言葉を選んだ。
「あなたは自分があの頃と何も変わっていないと言ったけど、それは絶対に違う。今日のリハの歌声…あれは、私が今まで聞いたことのない声だった。あの頃とは全く別人のYUMEだった」
「……え?」
「今日の歌声には、グループをやめてから8年の…YUMEの人生がちゃんとあった。一度は諦めて、でも音楽が好きで。泣きながら、傷だらけになっても曲を生み続けてきた、その痛みから生まれた歌声。
天性の才能だけじゃない。真壁さんが作った枠なんてとっくに超えたYUMEの世界に、あの時、あの場にいた全員が包まれてた。
私は本当に動けなくなるくらいに感動した。感動って言葉は安っぽく聞こえるかもしれないけど……それしか言葉が見つからない。本当に、本当に心から、あなたって人は――やっぱりとんでもない歌手だと思う」
YUMEの目が茫然と見開かれ、「……歌手…?」とうわごとのように呟いた。
「そう、しかもとんでもない歌手よ、QUINTZ-Gの頃のYUMEじゃない。もがき続けて生まれ変わった、本物の歌手。
あなたが歌を取り戻した瞬間に立ち会えたことが、叫びたくなるくらい嬉しくて、誇らしくて、震えた」
やばいと思った時には遅かった。ともみはこぼれた涙を慌てて拭い、ごまかすように笑って見せる。
「ありがとう。もう一度歌ってくれて。あなたはやっぱり天才だった。それだけで今、ここに来れてよかった。これ以上はもう、何もいらない」
「……ともみさん…」
今度はYUMEの瞳がみるみる潤み、大粒の涙があふれ、勢いよく抱きつかれた。
「だからYUME、歌っても歌わなくても、ステージに上がらなくてもいい。ここからは全て、あなたの望むままに」
YUMEの泣き声が大きくなり、ともみの肩が温かく濡れていく。締め忘れたカーテンの向こうには黒々と横たわる富士の稜線、その上にちりばめられた満天の星たちが、まるで嘘のように輝いていた。
◆
フェス当日、18時。
『SWEET FOREST FES』の野外会場は、夕闇の冷気を吹き飛ばすような5万人の熱狂の渦に包まれていた。
計8組の真壁の事務所のアーティストたち、そして韓国からも2組の人気グループが参加したこのフェスも、いよいよ終盤。湖面を茜色に染めていた太陽は完全に沈み、うす紫の夜空へと何本ものサーチライトが交差し、花火が打ち上がる度に歓声が大きくなる。
遠く離れたコントロールブースのど真ん中には真壁リオが陣取り、一瞬の異変も見逃さないとばかりの冷徹な視線をステージへと注ぎ続けていた。
大トリを務める世界的なK-POPのガールズグループの1組前としてラインナップされた――シークレットアーティスト、YUMEの出番がいよいよ迫っていた。
ステージ袖の暗がりでスタンバイするYUMEは、目元を蝶の形をした銀の仮面で隠し、その仮面に合わせた黒とシルバーの衣装、中世ヨーロッパの騎士をモチーフにしたというワンピースに身を包んでいる。
一曲披露したあとにその仮面を外し、今世界を騒がせている『顔だし無しの覆面アーティスト』が、元QUINTZ-GのYUMEであることがステージ上で明かされ、そのまま二曲目を歌い上げる――それが真壁の描いたシナリオだった。
インカムをつけた舞台監督や各部署のスタッフたちが怒号のような指示を飛ばし合い、忙しなく行きかう、その緊迫感が充満する中、ともみは何も言わず、YUMEの手をぎゅっと握った。YUMEが仮面の奥で微笑み、力強く握り返してくる。
「大丈夫です。ともみさんがいてくれるから、もう私は大丈夫」
結局、YUMEは自らの意志でステージに立つことを決めた。
将来のことを考えるならここで無理をしてはいけない、ともう一度諭したともみの制止を振り切り、YUMEは真壁の元へ出向いて「生歌でいかせてください」と告げたのだ。
真壁は、リハーサルでのいきさつを危惧してか、しばらく黙り込んでいたが、結局、「少しでもピッチがぶれたら、すぐに音源に切り替えるから」という条件の元で、生歌でのステージを許可した。
舞台袖のモニターには、今ステージで演奏している3人組のアイドルが映っている。観客とのコール&レスポンスを楽しむ彼女たちを見つめるYUMEの瞳に、もう迷いがないことは仮面越しでもわかる。それでもマイクを持つYUMEの指先は白くなるほどに強張り、足下も落ち着きがなく、ともみの心配は消えない。
その時――ともみのスマートフォンが震えた。
『会場の関係者エリアから見てます。応援してます!!』
白石ミウからのLINEだった。
真壁に薦められた整形を拒んだことで、デビューを無期限に延期されている練習生。佐藤弁護士の調べを元にともみが接触し、覆面アーティストのYUMEのファンだと言ったミウを、YUMEに引き合わせた。
そしてYUMEは、自分も真壁に薦められて整形手術を受け、それにより夢を失ったのだとミウに打ち明けた。
ミウは、憧れていたアーティストの正体と過去に衝撃を受けながらも、これまで誰にも打ち明けられなかった痛みを、ぽつり、ぽつり、と語ってくれた。
「整形する人を否定しているわけじゃないんです。でも私は受けたくない。私の容姿は私の個性だから。私のままでアーティストになりたい。自分が望まない手術を受けるのは、絶対にイヤなんです」
自分が整形を拒み続ける間は、親友のアリスもデビューができない。さらに所属の際に結んでしまった専属契約のため、事務所を辞めれば高額な違約金が発生する。その2つの鎖でミウは真壁に縛りつけられていた。けれどその脅しに屈してしまえば——夢どころか、今後の人生が壊れてしまう、と彼女は1人でもがき続けていた。
だからこそ——突如現れたともみとYUMEが、まるで救世主のように思えたという。
ともみの手元がもう一度震え、二通目のメッセージが届いた。
『真壁さんに立ち向かうYUMEさんは、私たちの希望です。一度は歌えなくなったのに曲を作り続けて、8年もかけてステージに戻ってきたなんて、マジで最高すぎます!!今日は、ぶちかましちゃってください!!』
ともみはそれを、『ミウちゃんから』と、YUMEに見せた。仮面の下でフッと微笑んだ気配がして、ともみの脳裏に、かつての記憶が鮮やかに蘇った。
「そういえばさ」
「はい?」
「誰より、本番に強いのはYUMEだったよね」
「…ともみさん?」
「ずば抜けて歌が上手いのに、ライブでも歌番組でも、いつだってリハより本番の方が圧倒的にパワーアップしてた。その度に比べられて、私たち、本当にイヤだったんだから」
パン、パン、と、その細い背を叩いたあと、指先をそろえて手を差し出したともみに、YUMEは一瞬きょとんと首を傾げたけれど、すぐに微笑み、ともみの手の甲に掌を重ねた。
「私たちはいつだって最高!QUINTZ-G!」
かつて、スポットライトを浴びる直前に交わしていた円陣の掛け声。8年の空白など無かったかのように2人の声がぴたりと揃い、重ねた手を勢いよく空に突き上げる。
「スタンバイ!登場まであと30秒!」






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