「写真が流出した後、もう観念したんでしょうね。奏が謝罪と、そして私との婚約を解消したいと伝えてきました。そして麻莉奈も、私のもとから旅立つと言ってきた。そこまでは想定内でしたし、こちらも準備があった。けれど麻莉奈は…」
紗和子は、こみ上げてきたものを抑えるように、ふぅっと息を吐いた。
「そのことを、他のギャラリストに話してしまったんです。しかも私を一方的にライバル視している同世代の男性ギャラリストでした。麻莉奈からアプローチしたわけではなく、彼の方から連絡してきたみたいなんですが」
男性は、君玉堂という画廊の4代目で玉川といい、元々麻莉奈を狙っていた彼は、キス写真の流出を、麻莉奈と紗和子の関係に亀裂が入った好機だと捉えたようだと、紗和子は言った。
「麻莉奈には私との契約が残っていましたから、玉川の提案で契約解除の話し合いの場を持つことになり、そこに奏も同席しました。麻莉奈を1人で私の前に出すのは忍びない…という妙な責任感を働かせたんでしょうけど」
紗和子が、グイっとマッカランをあおる。
「そこでも奏は私に謝りました。でも麻莉奈は謝らなかった。恋に落ちてしまったのだから仕方のないことだし、謝るのは私にも失礼になる気がすると。まるで私が悪役かのように正々堂々としていて、とても麻莉奈らしかった。
彼女の人生において情熱は…特に恋愛はどんなものでも正当化されますから、特に驚きもしなかった。けれど麻莉奈はともかく、奏は想像するべきだった。同業者の前で、私が、“婚約者を奪われた女”という役割をもう一度、強調されることが、どういう状況を生むのか、ということを」
玉川は、にやける口元を隠しもせず、饒舌に言い放ったという。
『そもそもギャラリー更紗さんは解体の予定だったということで、今もう、麻莉奈さん以外の契約アーティストは全て手放されてる状態ですよね。であれば、麻莉奈さんのこともこのタイミングで手放されて、清川さんも新しい人生を歩まれたらどうですか。
アート界を操り続けてきたキングメーカーが、恋愛だけはどうにもうまくいかなかったって…清川さんにも人間らしいところがあるものなんですね。でも――恥じる必要は全くありません。
あなたが燃えるような恋を麻莉奈さんに与えてくださったことで、あなたが発掘した麻莉奈さんという希代の才能は、さらに大きく羽ばたいていくことになる。どこまでがあなたの計算だったのかと思うと…いやいや、恐れ入りますよ』
「屈辱でしたが、耐えられないほどではなかったし、平静を装うことはできていた。でもそれを壊したのは…やはり麻莉奈でした」
「まるでひらめいたように無邪気に、玉川に同調しはじめたんです。
そうだ、そうだったんだ、って。私が奏さんに恋をして、奏さんも私を選んで紗和子さんと別れるというこの現状が、もう紗和子さんの元ではいい作品が作れないよ、という神様からのサインだったんだ、と」
そして麻莉奈は、晴れ晴れとした笑顔でこう言ったという。
『実は、自分でもなんとなく感じてたんだ。紗和子さんの意見とか提案が、ちょっとつまらなくなってた。紗和子さんのことは大好きだけど、ずっとモヤモヤしてた。
でも今はっきりと分かった。紗和子さんと一緒にいたら、私はこれ以上進化できない、ワクワクするものが作れないよ。だから紗和子さん、もう私の手を放して欲しい。明るくバイバイしよ?』
つくづく…天才とは本当に恐ろしいものですね、と紗和子は呆れたように笑った。
「自分の元を離れた方がいい作品を作れると言われることは…今まで感じたことのない屈辱でした。婚約者を奪われたことがどうでもよくなるほど…これこそが麻莉奈の裏切りだと、強く私を痛めつけました」
そしてさらに最悪だったのは、にやけ顔をさらに加速させた男の次の発言だったという。
『もちろん麻莉奈さんを頂くからには、契約解除の違約金のほかに、慰謝料という形で、うちからさらに色をつけさせてもらいますから』
イヤらしく目尻を下げたままの玉川に、紗和子は聞いた。
『慰謝料…?とは何のでしょう』
『すべてを失った紗和子さんをお慰めしたいという私からの気持ちです。ギャラリーも、愛も、婚約者も失うなんて、喪失感はいかばかりかと。そんなかわいそうな女性を僕はほっておけない質なんですよ』
弁護士を入れて適正価格を支払う、と男はわざとらしい同情を込めながら提案したというのだが。
「麻莉奈の裏切りだけでも許せないのに、この私が――かわいそうな女…?いいえ違う。私は誰かに憐れまれる存在になるつもりはない。だから報復を…復讐することにしました。麻莉奈にも、そのギャラリストにも、徹底的にね。
もしも――麻莉奈が3人だけで話し合いをさせていてくれたら…麻莉奈から全てを奪う計画を立てたりしなかったかもしれませんね」
ともみはこの街で働き始めたとき、光江に言われた事がある。それは「ケンカを売る相手を間違えてはいけない」ということ。紗和子は間違いなく、その、“ケンカを売ってはいけない相手”だ。
「…その復讐が、天才を平凡に堕とす、ですか?」
紗和子が頷く。
「麻莉奈に最もダメージを与える方法を私は知っています。それは作品を平凡だと言われること。才能に飽きたと言われること。私がそれを麻莉奈に与える。私が見出した才能なのだから、私に終わらせる権利があると思いませんか?
麻莉奈が作品を生み続けることができるその源は、自分の才能が非凡であるという圧倒的な自信にあります。私は、その源を凍らせる。知らない間にじわじわと追い詰めて、ね」
紗和子の表情は驚くほど静かなのに、ともみの背筋に冷たいものが走り、ゾクッと震えた。
その場で、復讐へと頭を切り替えた紗和子は、すぐに麻莉奈の契約解除を受け入れることにしたという。「これからは私に気を遣う必要はない」と、2人の恋愛も祝福し、これまでの麻莉奈の活躍に感謝して違約金は免除し、もちろん玉川からの慰謝料とやらも必要ないと伝えた。
その代わり、紗和子のギャラリーに在籍中に制作された全作品の著作権、および意匠の二次利用権を譲渡して欲しいと申し出たという。






この記事へのコメント
いやー安い日用品とかのデザインは、簡単にゴミ箱行きになる所までこだわるのかなぁ…。 例えば草間彌生氏なんて食器から文房具、傘やら食品パッケージ、ヴィトンやビルとのコラボまで幅広いけれど「耐えられない」とか思わないような…。 凡人が考えた復讐劇は所詮凡人レベルで終わるのかも?!