ともみは、相変わらず黙ったままのルビーをちらりと横目で見て、心で話しかける。
― ルビーって、六本木生まれなんだね。
だから光江さんとも出会うことになったのだろうかと、西麻布の女帝のニヤリ顔を思い浮かべながら、ともみは明美に視線を戻す。
「ルビーのお父さんは…アメリカで結婚をしていることを隠して、日本で婚姻届を出したことを認めたわけですよね」
「…ええ」
「そうなれば、もう犯罪ですよね。…通報というか、訴えたりしたんですか?」
明美は小さく首を横に振った。
「実はその……その頃の記憶が…あまりないんです」
「それは、どういう…」
男の悲劇ぶった言い訳は、一言一句かと思えるほどに覚えているのに、その後からの記憶は抜け落ちているということだろうか。ルビーが微かに驚く気配を感じ、たぶんこれも、初耳だったのだろう、とともみは思った。
「記憶がないって……アンタにとって、めちゃくちゃ都合のいい展開だよね、それ」
皮肉げに口を歪ませたルビーが、突如立ち上がったかと思うと、ワインセラーから白ワインのボトルを取り出し戻ってきた。さっきともみが開けた、今3人が飲んでいるシャブリ。それを空になった自分のグラスに溢れんばかりに注ぐと、ぐい、ぐい、と見せつけるように乱暴に飲んでから、明美をまた睨んだ。
「アンタが忘れたとしても、アタシははっきり覚えてるんだよね。あの男がいなくなってからもアンタはずっと、パパはお仕事なの、もうすぐ帰ってくるからね、ってアタシに言い聞かせてた。六本木から浅草のおばあちゃんの家に引っ越してからもずっと、ね。
なのに、その“パパ”とやらが帰ってくるどころか、今度はアンタまでいなくなった。アタシを置いていく日、アンタなんて言って出て行ったのか覚えてんの?……もしかして、それも都合よく覚えてないって言うわけ?」
明美が目を見開き固まった。言いかけた何かは、声にならなかった。そして絞り出すように、ごめんなさい、と呟いた。一瞬の沈黙。それをルビーの乾いた笑い声が打ち破る。ウケる~と、何度も何度も手を叩く音が、店内にひどく響きわたる。
「ともみさん、聞きました?ごめん、ですって。つまり、な~んにも覚えてないってことでしょ?」
ごめんなさい、ともう一度明美が呟き、それはともみの目にも肯定に見えた。確かルビーの記憶にある、明美の最後の言葉は「すぐに迎えにくるからね」、だったはずだ。6歳のルビーが、信じて待ち続けたその言葉を、明美が全く覚えていないなんて。
ドスンとソファーの背もたれに脱力し、ルビーは、あ~バカみたい、と天井に向かって叫んだ。
「アタシだけだった。ずっと……呪われたみたいに覚えてたのは。ほんっとバカだよね」
くっくっとルビーはしばらく笑い続けると、明美にその満面の笑みを向けた。
「ありがとう。今日でようやく吹っ切れそうだよ。アンタの言葉に意味なんてなかったことを教えてくれてありがとう。6歳のアタシとやっとバイバイできる」
「うん、もう大丈夫!」と、ルビーは勢いをつけて立ち上がった。そして、ともみの静止を振り切ると、クロークから自分の荷物を持って戻ってきた。
「ごめん、ともみさん。もう、ここまでにさせて欲しい。これ以上ここにいたら、アタシこの人に本当に……何しちゃうかわからないからさ」
何しちゃうかわからない。そうすごんだのはほんの一瞬で、ルビーはすぐに表情を和げ、「ともみさんには迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ないです。でも今日だけはわがままを言わせてください」と深々と頭を下げた。
その落ち着きに、ともみの方が慌てた。
「なぜ記憶がなくなったのかとか、なぜ…迎えに来れなかったのか、ってことはもう聞かなくていいの?」






この記事へのコメント
本当にこのライターさん素晴らしい。