女性の話によると、半年ほど付き合った恋人の束縛がどんどん強くなり、1ヶ月程前から、仕事の出張だと伝えても、「新しい男との旅行じゃないのか?」と、しつこく疑ってくるようになったのだという。
「なっちゃん、監督に、携帯見てもらいなよ」
なっちゃん、と呼ばれた後輩が、おずおずと携帯画面を崇に差し出した。そのホーム画面には、不在着信が無数に、そして未読のLINE通知が252件と記されていた。
「何度、仕事中だと説明してもお構いなしで鳴るんです。仕事中なら仕事してる写真を送れとか、ビデオ通話を繋げとか…そんなの無理だから、サイレントにしてるんですけど、ほらまた…」
ホーム画面に、サイレントのまま、カズくんという表記で着信が入った。確かこの女性が所属する美術部の大道具チームは、1週間前に東京から京都入りし、建て込みと言われる作業に入っていたはずだ。
「彼は普通のサラリーマンなので、最初は私たちみたいに、映画のセットを作るために1ヶ月も地方に出張に行く感覚が分からないから心配してくれてるのかなって思って…割とマメに返事を返してたんです。でも…」
口ごもった後輩の代わりに、とばかりに先輩が続けた。
「1日中、どこにいるの?何をしているの?って聞かれ続けたら、面倒くさくもなりますよね。この子が連絡を返す頻度が落ちたら、その男、豹変しちゃって。着信はさらに増えたし、モラハラ男に大変身ですよ」
「モラハラって…具体的には?」
崇の問いに、先輩は嫌悪感を露わに顔を歪め、大きなため息をついた。
「さっきなっちゃんが、普通のサラリーマンだって言いましたけど、その男って大手の外資金融系のコンサルマン、ってやつで、自分のスペック自慢というか、プライドが無駄に高いんですよね。
で、なっちゃんに対して、お前は三流大学出身のバカで、オレは高学歴の社会的成功者なんだから、オレがお前を指導してやる、黙って従え、とか、何の才能もないお前と付き合ってやってるんだから、報告の義務さえ守れないお前は、大人として失格だ、とかブチギレるんですよ。
かと思えば、言い過ぎたごめん、優しくするから捨てないでって泣き始めることもあったり」
「それは…物騒だね。今すぐ、警察に相談した方がいいんじゃないかな」
ほらぁ~私も言ってるでしょ!と先輩が崇に同調すると、後輩がうな垂れながら言った。
「でも、彼って出会った頃は…元々は物静かで真面目な人で…今の彼はきっと、仕事のストレスが凄くてどうにかしちゃってるだけで、また元の優しい彼に戻ってくれると思うんです。言い過ぎたら謝ってくれてますし…その…」
言い淀んだ“なっちゃん”の後ろめたさを感じつつ、崇は言葉を選びながらも、伝えることにした。
「元々の彼に戻ってくれるって言ったけど、彼の本来の姿は、今の彼の方だと思うよ。独占欲や執着…あなたを支配したいという欲は彼の中に元々あったもの。今までは隠してきたそれらが、あなたの不在か…何かが、トリガーになって引き出されてしまった。
ストーカー行為の始まりなんじゃないかな」
崇は、犯罪者に執着され、ストーカー被害に苦しめられた女性刑事の闘いをドラマ化したことがあった。そのドラマは実際に起こった事件を基にしたものだったので、その被害女性や専門家、そして服役中のストーカー本人に会い取材を重ねて、脚本を作っていったのだが。
そしてそのストーカーが女性刑事に執着し始めたきっかけは、別事件で警察に保護された時、彼女が、亡くなった自分の母親と同じ言葉で自分を心配してくれたことで、その後、もう叶うことのない最愛の母への執着を、女性刑事に向けていったのだということが分かった。
その執着は、女性刑事に拒まれれば拒まれるほど、支配欲へと膨れ上がり、女性刑事の結婚式をめちゃくちゃにして、その命を奪う直前で逮捕されることになったのだが、逮捕された彼は、女性刑事にこう言ったのだという。
「あなたのせいだよ。あなたが僕を目覚めさせたんだから。僕をめちゃくちゃにした責任を取るべきだろう?」
自身でも気づいていなかった、心の奥底に隠されていた欲望や飢餓感。それを目覚めさせたのが女性刑事の言葉なのだから自分の方が被害者なのだと、ストーカー男性は一度も悪びれることなく、言い張ったというのだ。
「今はまだ、あなたの恋人はストーキングとまでは言えないかもしれないし、彼の行動を自分のせいだと思う必要はないよ。でも彼が自分の感情や行動をコントロールできなくなってからでは遅いんだ。一度暴走を始めた執着を自分自身で抑えることは、不可能に近いと思うから」
かといって今すぐ別れを切り出すのも、激高される可能性を考えると得策だとは思えない。崇にはドラマの取材で知り合った刑事が何人かいた。その中でも信頼できる1人を紹介するから対策を相談してみたら、と刑事の連絡先を女性たちに伝えた。
― 無事に…その男から離れられればいいけど。
そう願いながら、喫煙所を後にした崇は…まさか自分も。知りたくもなかった“欲望や飢餓感”に目覚め、狂い、もがき…キョウコと大輝を巻き込んでいくことになるなんて。そんな未来が近づいていることを、もちろん、予想することなどできなかった。
▶前回:40歳で知った恋愛の喜び、そして別れの絶望。女が隠しきれなかった想いとは
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
▶NEXT:12月23日 火曜更新予定
12月16日は連載がお休みです。








この記事へのコメント
来週は更新お休みなのかぁ残念
キョウコさんに全てを打ち明けてほしい