思わぬ名指しだったのだろう。メグはワインを注がれたばかりのグラスを口に近づけようとしていたが、それをソファーテーブルに静かに置き、姿勢を正すようにして体ごとともみを向いた。
「遠慮なく言わせてもらっちゃいますね」と微笑みながら、ともみは自分が少しだけ、緊張のようなものをしていることに気づく。
「メグさんの場合、自分も犠牲を払った風に見せかけて、ミチさんより仕事を選んだだけですよね」
ともみはあえてミチを見ることなく、続ける。
「メグさんの、大好きだから別れる、っていうのは、ただ、自分のためだった」
「…私の、ため?」
思わず漏れたようなメグの呟きに、ともみは頷く。
「だって、今は仕事を選ぶけど、あなたのことを愛しているのも本当。だから、いつか必ずあなたの元に戻るから、と言ったも同然じゃないですか?それを誰よりもミチさんの性格を知っているメグさんが口にした時点でそれは…気づかないふりをした確信犯だと思います。だから、“大好きだから別れる”って言ったのが違うんじゃないの?って光江さんが怒ったんだなって理解できるっていうか…私もそこは、光江さんの意見に賛成です」
「…そんな…つもりじゃ…」
呆然とともみを見つめていたメグの視線が、空を泳ぐようにミチに向かう。
「たぶん、誰にもミチさんを取られたくなかったんですよね?ミチさんが自分以外の人と幸せになるなんて、イヤだったんですよね?ミチさんはいい男だし、失くしてしまうのは惜しい。それはわからなくないですよ――でもね」
強くなったともみの語尾に引き戻されるように、メグがともみを見た。
「だったらきちんと、大好きだから待っていて、と言えばよかったんですよ。今は飛び立つけど、何年かかったとしてもあなたの元に戻るからって。それをなぜ正直に伝えられなかったんでしょう。きっとミチさんは待ってくれたはずなのに、メグさん、あなたは“大好きだから別れる”と言い逃げした。それってどうしてなんでしょうね」
メグは何かを言おうと口を開いた。けれどそれは言葉にならなかった。ここからは完全に私の推測ですけど…と前置きしてともみは続けた。
「メグさんは自分が戻ってくる約束をしたくなかったんじゃないですか?世界を飛び回っているうちに、日本で待つミチさんより大切なものがどんどん増えて、その生活が楽しくなる可能性を感じていた。ジャーナリストとしてのやりがいとか、世界で認められる栄誉とか、それが何なのかわからないけど、未来に目がくらんでいた。
だから自由でいたかった。だからプロポーズしようとしていたミチさんとの約束に縛られるのがイヤだった。違いますか?」
そんなつもりは…とまたも同じことをメグは呟いたけれど、その言葉に力はなく、ともみは胸を痛ませながらも止まらなかった。
「なのに大好きだから別れる、っていうのは、ずる過ぎますよ。自分から約束はしないけれど、ミチさんが自主的に待っているように仕向けたんですから。ミチさんに呪いをかけた、っていう光江さんの怒りもごもっともというか。
私にとっても、ミチさんは大切な…上司ですから。光江さんがミチさんを想うほどではなくても、ミチさんが悲しむ姿は見たくないし、傷つける人はムカつくし、幸せになって欲しいと思ってます」
勢いで怒りを含んでしまった自分の言葉にハッとし、ともみは恐る恐るミチの反応を伺った。その表情が変わらないことで、急激に照れくささがこみ上げ、今こそルビーに茶化して欲しくてちらりと伺うと、なぜか、うるうる顔で感極まってしまっている。なんで!?と突っ込みたくなるのを何とか抑えると、ミチが言った。
「ともみ、お前…そんなこと言えるヤツだったんだな」
「どんなヤツだと思ってたんですか」とともみが口をとがらせると、ミチは、ほんの少しだけ微笑んだ。すると、メグが。
「ミチ、変わっちゃったね」
すぐにメグは、ハッとしたように、ごめん、と呟いた。言ってはいけない言葉を発してしまったというように、バツが悪そうに視線を落としたメグを、ミチは優しく見つめた。
「ともみがここまで話してくれたんだから――オレも、言えなかったこと…今までメグに伝えてこなかったこと、もう、言わなきゃ、な」
メグの視線が上がるのを待って、ミチは続けた。
「さっきともみが言ったこと。オレはあの時からわかってたよ。あの日…大好きだから別れるって言ったメグの、大好きにウソがあったとは思わない。ただ、お前は仕事を選んだ。でも別にそれはいいんだよ。あの頃のオレも…そして今でも、メグが望むことを叶えてやりたいとは思ってる。オレにできることならな」
どこまでも哀れなGiver(ギバー)。ミチをそう評した光江の言葉が蘇る。けどそれは不幸なことだろうかと、ともみは思った。ミチの言葉はとても清々しく響いたから。
「でも、オレはもうあの頃のオレじゃない。あの頃はお前以外の誰もいらないと思ってたからな」
「光江さんもいたでしょ」と、弱々しく、なんとか微笑みを作ろうとしたメグに、「あの人は別物だ」とミチが顔をしかめた。
「別れてからの10年、お前にいろんなことが起こったように、オレにも起こったんだよ。だから当然変わっていく。そしてオレにとっての一番の変化は…」





この記事へのコメント
ミチは待たないとは言ったけど、ほかの恋愛するつもりは全くないだろうね。“本当に好き同士” だから最後は絶対一緒になる。