「不躾にごめんなさい」と、薄い唇で遠慮がちにほほ笑まれたその時、まさかという驚きと、抑えきれない喜びがこみ上げてきて、ともみは震えた。
「覚えててくださったなんて…」
「やっぱり?」
「そうです、みなみです。どうしよう、うれしすぎます…!」
らしくもない興奮で、声を上ずらせたともみに大輝は驚き、私もうれしい、と微笑んだキョウコにも戸惑っている。
「みなみちゃん、って…ともみ、どういうこと?」
大輝の質問に答えたのは、キョウコだった。
「以前、ともみさんは私が書いた映画に出てくださったの。その時の役名が“みなみちゃん”だった。あのみなみちゃんは私には特別なキャラクターだったから。もう10年以上前よね」
「撮影は13年前でした」
ともみは即答した。オーディションを受けた日のこと、本読みから撮影、そして完成した映画を見たときの気持ちまで、全てをはっきりと覚えているし、忘れられないのだ。
「みなみちゃんっていうのは、15歳の女子高生の役でね。
自分が幼い頃から家族を顧みず仕事ばかりだった父親に反抗してぐれたりもするんだけど、父親が冤罪で捕まったことをきっかけに、父親が何と闘っていたのかを知る。尊敬すべき正しい大人だったということもね。
汚くて大きな権力に飲み込まれそうになっても、諦めない賢さがある役だった。子どもだからとなめてかかったら取って食われるようなね。欲にまみれて潰された真実を純粋な正義で取り戻す。そんな未来を信じて闘う、というのがあの作品のテーマだったから。その象徴としても、“みなみ”というのは本当に大事なキャラクターでね。
だから、年齢よりも大人びた賢さのある子でありつつ、ふとした瞬間に幼い子供の純粋さも見せてくれる人に演じて欲しかったの。どんな妨害を受けても正しいと信じた方向に突っ走っていくような、純粋さの狂気とでもいうのかな」
ともみが演じた“みなみ”は、地方の県会議員の娘で、国会議員の不正により無実の罪を押し付けられて逮捕された父親を信じ続け、最後はヒロインに重要な証拠を提供する、という役だった。
「ともみさんがオーディションで演じてくれた時、私は、この子だ、って確信して。監督にともみさんじゃなければ嫌だと言い張ったの。他の人にするなら脚本を引き上げるって言っちゃった。そんなの脚本家人生で初めてのことだったし、それ以来ないんだけどね。
だから完成した映画の中で“みなみ”として動くともみさんを見たとき、自分のジャッジは間違えていなかったと、とてもうれしくなったのを…今でも忘れられないのよね」
つまりごり押し成功ってことよね、と笑ったキョウコを、ともみは信じられないとばかりに目を見開き見つめた。確かあの時、オーディションは形ばかりで、みなみ役は、主演の有名女優が所属する大手事務所の新人アイドルに既に決まっているというウワサがあった。
それでも諦めきれないともみは、周囲の反対を押し切りオーディションを受けたのだが、まさか、敬愛する“門倉キョウコ先生”が、自分を選んでくれていたとは。
どんなに人気脚本家だったとしても、30歳にも満たない若さの、しかも女性の脚本家がキャスティングに口を出したのだから、大手事務所も映画会社の重鎮たちもきっと怒り狂っただろうと容易に想像できる。
— あの頃の自分に、教えてやりたい。
そうまでして託された役だったと知れば、あの頃の必死さが報われた気がした。泥の中をはい回るような努力が無駄ではなかったのだと、ともみは鼻の奥がツンとして、溢れてきそうになった熱いものをごまかすように言った。
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