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「乾杯〜」
正輝くんの部屋で手料理を作ってから2日後。
今夜私が、恵比寿の居酒屋でビールグラスを合わせているのは、正輝くんではなく同期の中村くんだ。
「萌香ちゃんと2人で飲むのって、意外と初めてだよね」
「そうだよね、中村くんと会う時はいつもゼミメンバーか同期で集まってだったから」
「そういや、萌香ちゃん一昨日の同期飲みいなかったね。来るって聞いてたけど」
「うん、ごめんね。せっかく中村くんが一時帰国してきてるのに…急に予定が入っちゃって。
“友達”が帰ってきてるのに会えなくて残念だったから、中村くんが今夜も予定空いてて嬉しいよ」
中村くんとは同じ化粧品会社の同期でもあり、上智大学時代のゼミの同級生でもあるのだ。
ゼミから同じ会社に入ったのは、中村くんと私だけ。なんだかんだでもう7年も同じ環境で過ごしているのだから、私にとっては数少ない男友達なのだと思う。
「いや〜。日本に久しぶりに帰ってきたけど、上海よりも蒸し暑いね」
そう言って笑顔を向ける中村くんの、シャツの袖を捲った腕が見える。
スラッとしていて、男の人にしては小柄で細身。中性的な雰囲気で性的な魅力を感じさせないのも、今夜の私の目論見にピッタリだった。
― 中村くんとだったら、何か起きるわけがないもんね。7年もの間、“友達”の枠を超えなかったんだもん。
今夜私がこうして中村くんと飲みに来たのは、それを確認するためだ。
男女とはいえ、何も起こるはずがない相手。
男女とはいえ、仕事や昔話の色気のない話で完結する相手。
今までは男性とそんな関係を築いたことはなかったけれど、それはもしかしたら、単純に私が機会に恵まれていなかったり、潔癖すぎただけなのかもしれない。
正輝くんと莉乃さんほどじゃないけれど、これだけ長い間ただの友達でいられた中村くんとなら…男女の間に友情が成立することを、きっと改めて納得できる。
そう思って、「同期飲みに行けなくてごめん」という名目で、私の方から声をかけた。
場所は、上海勤務から一時帰国している中村くんが便利だという、恵比寿の居酒屋になった。
すこしぎこちなかった雰囲気は、グラスを空けるたびに打ち解けていった。
「中村くんは早々に海外勤務に抜擢されて、すごいよね」
「まあね、やりがいは大きいよ。でも、萌香ちゃんの本社勤務もさ…」
「そうだ。ゼミの先輩の結婚の話、知ってる?」
「聞いた聞いた、超びっくりした!相手ってあの人だよね」
あたりさわりのない会話をしながら、ほろ酔いの頭で考える。
― なんか…ちょっと分かるかも。異性の友達って、恋愛がからまなければものすごく気楽なんだ。
ずっと女性だらけの環境にいると、周りに合わせるのが上手くなる。
それはつまり、女性同士の人間関係はそう簡単じゃないということを意味していた。
暗黙のうちに感じる、嫉妬や同調圧力。気づかないふりをして笑顔で受け流す、値踏みの視線と自虐風のマウンティング。
そういった女性特有の繊細なかけひきは、男女の間には必要ない。
もしかしたら、あらゆる面においてライバルになりにくいというのが大きいのかもしれない。
― こういう関係だったら、確かに仕事の話もしやすいかも。正輝くん、同期はライバルでもあるって前にこぼしてたし…。
正輝くんと莉乃さんが、忖度なしに仕事の意見交換などができる関係だというのが、少しだけ理解できるような気がした。
そしてその“理解”は──このすぐ後に、粉々に打ち砕かれることになった。
「ああ〜、結構飲んだなー!」
気がつけば24時近くになっていたことに驚いた私たちは、慌てて店を飛び出した。
「ねえ、中村くん。本当に半分払うよ。友達に奢ってもらう理由ないし」
「いいって!女の子にお金出させるなんて、そんなダサいことできないっしょ」
戸惑う私に、中村くんは笑いかける。
そして、次の瞬間。
「あっちでタクシー拾おう」
そう言って、ぐいと私の肩に腕を回したのだった。
「ちょ…」
「ごめん、ちょっとつかまらせて」
有無を言わさない雰囲気に、私は黙り込むしかなかった。中村くんの足取りは大通りに沿っていたから、タクシーを拾うまでの辛抱だとも思った。
でも───すこし歩いて中村くんの足が止まったところは、タクシー乗り場なんかじゃなかった。
「ね…ここ、俺が泊まってるホテル」
ガラスの門構えが、私の目の前に立ちはだかっていた。
私の肩に回された中村くんの腕が、私が今夜手に入れかけた“理解”を粉々にしていく。
― 嘘つき。やっぱり、男女の友情なんてないじゃん。
冷えていく頭の芯で私は、そう自暴自棄に吐き捨てた。
少し遠くの暗がりの中に、莉乃さんの顔が見えた気がした。
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