「ともみちゃんをイライラさせちゃって、ごめん」と、大きな体でうな垂れた大輝が可愛くて、今すぐ抱きしめたくなった衝動を、ともみはなんとか我慢した。
「正直、キョウコさんへの気持ちが全てなくなったのかと聞かれると、まだ…自信がない。でも、ともみちゃんに会えなかった2ヶ月間、ほとんどキョウコさんのことを考えなかったと思う。携帯が着信する度に、ともみちゃんだったらいいなって思ってた」
ウソでも、“キョウコさんのことは全く考えなかった”と言ってくれれば信じてあげたのに。“ほとんど”だなんて、バカ正直にも程がある。でも。
― やっぱり私……この人のこと大好きなんだな。
認めてしまえば、もう迷わなかった。
― 過去の女(ひと)に勝てばいいだけの話。
決意を固めて、微笑んだ。
「大輝さんでも怒るんだね」
「怒る?」
「さっき、私を抱きしめて話を聞けって怒ったでしょ?大輝さんが感情を荒らげてるのって初めて見た気がするから」
「オレ、怒ってた?」
「無自覚だったの?」
「ごめん…そんなつもりじゃなかったんだけど。でも、そっか、でもオレ、女の子に怒ったりもするのか」
ともみちゃんといると、初めてのことばっかり起こるなぁと、大輝は笑った。
「初めての女って悪くないかも。最後の女になれたらもっといいけど」
ともみのそのつぶやきは、大輝には聞き取れなかったようで、「何?」と聞き返されたけれどともみは答えず、ただ微笑みを返した。そして。
「大輝さん、私の恋人になって」
え?と固まった大輝の胸にともみは、今度は自分から体を預けた。その時強い風が吹き、雨で輝くアスファルトの水たまりに映る2人の影に、桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちていく。
「オレから告白したはずなのに」とため息をついた大輝に、ともみがクスクスと笑いながら、返事は?と聞くと、ともみの背に回されていた腕に力がこもり、「よろしくお願いします」とうれしそうな声が降ってきた。
◆
「お帰りなさ~い」
Sneetの閉店時間である午前3時まで居座られても迷惑だと根負けし、元恋人のメグに自分の部屋の合いカギを渡して先に帰らせていたミチが帰宅すると、小さな体で見事な跳躍をみせ、またもメグはミチの首からぶら下がった。
「シャワー、使わせてもらったよ。あと、Tシャツも借りた。彼シャツって男子は好きなヤツでしょ?ね、色っぽい?萌えるでしょ?」
彼シャツと言っても、190cm超えでマッチョなミチのTシャツは、150cmほどのメグにとっては最早膝丈のワンピースだ。
「色気もゼロ、萌えもゼロ」
淡々とあしらいつつ、ミチは自分の首にしがみついたメグを抱きかかえたままリビングまで進み、その華奢な体を、とりあえず…と、ソファーに落とした。
「寝室はその奥だから、お前はベッドを使え。オレはソファーで寝るから」
そう告げてシャワーを浴び…出てきたミチを、メグはソファーの上にちょこんと膝を抱えて待っていた。
「…眠らないのか?」
「もう少し飲まない?コンビニでビール買ってきたんだ」
「オレはもう飲まない。お前ももう飲むな」
「え~冷たぁ~い。じゃベッドまで運んで」
拗ねたように口を尖らせたメグは、両手をミチに向かって広げた。ミチは大きな溜息をつき、その体を横抱きに…いわゆるお姫様抱っこという形で抱きかかえる。
「ふふ。ミチの抱っこ久しぶり。やっぱ優し~」
「お前、これやるまで絶対諦めないだろ。オレは一刻も早く寝たいの」
付き合っている時から、メグがミチに抱きしめられることを求める時、それは何かがあったサインだった。具体的に愚痴ることはしない代わりに、ピタリとミチから離れなくなるのだ。
頻繁に起こるわけではないからこそ、ミチはメグの気が済むまではと、存分に甘やかしてきたのだが。
― まさか、未だにこうだとは。
やはり何かがあったのだと心配にもなりながら、ミチは寝室のドアを足で開け、メグの体を優しくベッドに下ろした。が、ミチの首に回された腕が離れず、それどころか両足を勢いよく体に巻きつけられて、バランスを崩したミチは、メグの横に倒れ込んでしまった。
「…ふざけてないで、もう眠れって」
起き上がろうとしたミチの体に、メグが勢いよく跨り、馬乗りになった。
「おい…何してんだよ、降りろ」
いい加減にしろと凄んだミチに、メグが悲しそうに笑った。
「ミチに睨まれても全然怖くないんだから」
「…どうしたんだよ」
今夜の始まりからメグはおかしかった。けれど、何があったのかを聞いてしまえば。
― もう、知らぬふりはできなくなる。
その時、ミチの頬が、濡れた。
それは、メグの涙だった。
「眠れないの。怖くて」
唇が震え、涙がはらはらと、とめどなく落ちる。ミチは思わず、メグを抱き寄せてしまった。
自分の上に横たわるその細い背中をあやすように撫でることしかできず、どれくらいの時間が経っただろうか。
メグが、ポツリ、ポツリと話し始めた。
「私を信じてくれた子を…守れなかった。私の取材のせいで、彼女は…」
それは、アフリカのある国で――メグがあるNGO団体の活動を取材していた時に起きたことだった。
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この記事へのコメント
メグの精神状態が心配だけどきっとミチと一緒に居れば大丈夫かな…