ルビ―に肩を抱かれて感極まっている様子の桃子に気づく気配はないが、ルビーはそもそも最初に、“クズ男にも少しはクラわせてやらないと”と言ったのだ。
― そういう意味でも…もし、AYANOが桃子さんの服を着て、SNSにアップしたとしたら。
普段、商品の着用にうるさいAYANOが無名のデザイナーの服を着たことは、きっとすぐに業界で話題になり、それはすぐに永井の元にも届くだろう。
自分が盗んで潰したはずの才能が、モード界で力を持つカリスマモデルが認めた“本物の”服という形で蘇り、実体を持ってしまったら。
― 桃子さんが存在するだけで…永井にとって脅威になる。
面と向かって盗作を訴えられるのではなく、無言でお前は所詮偽物なのだという現実を突きつけられるのだ。それがどれほどの恐怖を永井に与えるだろう。
才能が枯渇している自分と、これからの伸びしろしかない桃子。桃子に才能があることは永井自身が盗むほどに認めてしまっているのだから。
いずれ…桃子がAYANOだけではなく、世間にも本物として認められていけば、いつか業界での立場が逆転する日がくるかもしれない。そうなればいつ盗作をばらされてもおかしくない。つまり永井は…断罪される日がくるかもしれないと怯え続けなければならないのだ。
― 罪人には安堵の日々を与えないって感じ?
今すぐ裁かれた方がましだと思う程の、針のムシロのような日々が続いたとしても、きっと永井のような男は、自分から罪を告白する勇気など持てずに苦しみ続けるしかない。
恐ろしくて容赦のない作戦だが、ともみがさらに感心するのは、桃子が闘いを挑む相手を永井ではなくしたことだ。
ルビーの提案にのった時点で、桃子の敵は永井ではなくなった。桃子自身のアイディアと努力でAYANOに選ばれなければならないという、自分自身との闘いに変わったのだ。その闘いが始まれば。
― 永井に囚われているヒマはなくなる。
AYANOに自分の服を着てもらいたい。そう必死になることで、桃子はきっと夢中になっていく。そして…AYANOのための服が出来上がる頃には、服作りの楽しさを思い出し、夢を取り戻しているだろう。
そしてAYANOに選ばれれば、状況は一気に変わる。
もしも、桃子の作った服をAYANOが気にいらなかったとしても、桃子は自分を助け、夢を思い出させてくれた人がいたことを…ルビーがくれた温かさと希望をきっと忘れない。
そしてその感謝を胸に、何度でも挑戦を続けていくのだろうと、ともみは今目の前で話し合う、ルビーと桃子の笑顔を見ながら思った。
― そして永井は、桃子から忘れ去られて、過去の男になる。
復讐ではなく、クラわせる。ルビーはそう言ったが、その通りなのだろう。復讐の原動力は相手への恨みや憎しみだ。自分がやられた分だけ、相手を苦しませたい、後悔させたい、悲しませたい。それらの感情を相手に向け続けることは容易なことではないだろう。
けれどルビーの作戦なら。
桃子は、永井への悔しさを、永井に向けることなく、自分と闘う原動力にするだろう。そしてその闘いに勝った時、永井は、桃子の才能を“クラって”人知れず大打撃を受けることになる。
ルビーは、クズ男には恨む価値もない、憎み続けることで自分の人生をこれ以上狂わせないで、と桃子の視線を永井から外した。けれど、クズ男を許したわけではなく、最も恐ろしい方法で追い詰めてゆく。その上、奪われ消えかけていた、桃子の夢への活力も取り戻した。
― お見事だよ、ルビー。
AYANOというカードをルビーが持っていなかったとしても、ルビーはきっと、光江や大輝を頼って同じような作戦を立てたのだろう。ファッション業界への伝手なら、ともみにもあると言えばあるのだから。
桃子の作った服をAYANOが気にいらなかったとしても、桃子はルビーの気持ちに感謝して、諦めることなく、挑戦を続けるはずだ。ならば、ルビーの作戦の続きとして、今度は自分が桃子のために動くのもいい。そんなことをともみは思った。
― ほんとルビーって…人生何回目?って聞きたくなるよね。
ともみは時々…というよりこのところは頻繁に、ルビーから、まだ22というその年齢、そのルックスと言動からは想像のできない、肝の据わり方や、老成のようなものを感じる時がある。
ともみ自身も幼い頃から、随分大人びていると驚かれてきた。けれど、そんな“大人びている”とはまた違う何かが、ルビーにはある気がする…などと思っていると、小型犬のうなり声のような、ぐぅぅという音がして、ルビーがてへっ☆と笑った。
店が始まる前に、ともみの箱根土産をほとんど一人で食べ尽くしたはずのルビーのお腹が、盛大に鳴ったのだ。
「お腹すいたぁ、桃ちゃん、なんかデリバリーしない?ダメ?」
「…わ、私はダメじゃないですけど…」
ともみを気にしながら戸惑った桃子の返事を、ほら桃ちゃんもお腹空いたって!と自分都合に解釈したルビーは、早速携帯を見始めた。
「ピザかなぁ、あ、たこ焼きでもいいかも?」
ガッツリな炭水化物を好むルビーらしいチョイスに、ともみは苦笑いで止める気も失せた。
― やっぱり、軽食くらい出せるようにするべきかな。
TOUGH COOKIESにはチョコレートやチーズ、生ハムなどを除けば、食べ物がない。
店の形態的に必要ないのでは?と言ったのは光江だったが、実はルビーが、食いしん坊なだけあって料理が上手いのだ。
光江さんに相談してみようかな…そうともみが思っていると、真剣にデリバリーメニューを選んでいたルビーが、あっ!とともみを見た。
「久しぶりにミチさんのカレー食べたくないですか?」
「Sneetはデリバリーやってないでしょ」
BAR・Sneetには、しっかりとした食事のメニューがある。
中でもミチが作るスパイスの効いたカレーが人気で、バターチキンカレー、グリーンカレー、マトンカレーの中から一つ、または二種か三種を少しずつという選択もできる。さらに白ご飯、サフランライス、そしてナンにするかなども選べるのだ。
「電話してみますよ。ミチさんが良いって言ってくれたら、アタシ取りに行ってきますし」
ルビーはともみの返事を待たず、Sneetに電話をかけた。ミチは勤務中、携帯を見ない上に、客が多い時は店の電話にも出ないことが多い。今は水曜日の9時半過ぎ。いつもならそう忙しくはないはずだが、何せSneetはともみが抜けてから、ミチのワンオペだ。
ミチさんの邪魔にならなければいいけど……ともみは心配していたが、電話はあっさりとつながり、ルビーの注文も受けてもらえたようだった。
「じゃあ、私が20分後くらいに受け取りに行きますね…え?ともみさん?はい、こっちはもう落ち着いたんで大丈夫だとは思いますけど…あ~それなら光江さんに頼めばいいんじゃないんですか?……OK?よっしゃ、じゃあ甘えちゃいま~す」
あざ~っす、とご機嫌に電話を切ったルビーに、何が甘えちゃいますなの?と、ともみは聞いた。
「カレーできたらミチさんが持ってきてくれるって」
「え?向こうも営業中なのに?」
「今ちょうどSneetに光江さんがいるみたいで。光江さんが店番してくれるから大丈夫みたいです。ラッキー♡」
この記事へのコメント
ともみの過去も徐々の明かされるんだね、楽しみ。
桃ちゃんはAYANOに着てもらいたい服に集中していればその内泥棒男の事なんてすっかり忘れるんじゃな!? とりあえず、続きを早く読みたい。ルビーと光江さんの関係も気になってる。